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晴れときどき 宮尾節子


宮尾のブログ talk to who?               
by sechanco
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アルジェと飯能 カミュの生家と旧平岡レースの事務所棟

アルジェと飯能 カミュの生家と旧平岡レースの事務所棟_a0082132_9385290.jpg仕事で移動中にたまたまここがアルベール・カミュの生家だよと言われて写真をとりました。

ドレアンという名前の町です。前から話には聞いていたのですが、現地の人に聞いてもカミュって誰?という反応が多く今日までわかりませんでした。

タクシーフォンと書いてある店は携帯のプリペイドカードを売っていたりコピーができたりするところです

アルジェリアに仕事で出かけているという、フランス在住の友だちから、写真とメールが届いた。

あの『異邦人』で有名なアルベール・カミュの生家とのことです。友だちは、わたしの行けない(?)フランスに行って、フランス人と結婚し、ときどき、こうしてフランスや近場のヨーロッパの景色や話を送ってくれる。わたしの興味ありそうなものを、選んで。いつも、うれしい。

フランスや月にはいけなくても、もつべきものは、フランスに行ける友である。あとは月の友か?(^^

アルジェと飯能 カミュの生家と旧平岡レースの事務所棟_a0082132_9544740.jpg「ママンが死んだ」ではじまる、物語の衝撃を忘れない。「太陽が暑かったから」じゃないや「太陽がまぶしかったから」という殺人の理由と。

それは、「髪型が気に入らなかったから」という理由で学校をさぼった私と近からずとも遠かったのか(?)・・・なんていろいろ考えた。

「『異邦人』のどこが異邦なの?僕にはとても普通の考えをした、凡人に思えるけど。」といった土佐の同級生のことばにも。

ママンがしんで――いまは、コピーができたりする携帯ショップになっているそうですよ。カミュさん生まれた宅。




遠藤新の最後の建築、旧平岡レース事務所棟の取り壊しがはじまった。保存の運動に少し関わらせてもらったが、力は及ばなかった。(*でも、丁寧に手壊ししてしばらくは保管されることになったのが、せめてもの成果かもしれません)せめて、記録に残そうと冊子が出る。その冊子に、寄稿させてもらうことになりました。が、こみあげる思いのたけを書いているうちに、つい規定の文字数をオーバーしてしまいました。結局、掲載分は、もとの三分の一を削ることにして、書きなおしました。せっかく書いたので、その削った全文を、ここにこっそり(笑)残しておきます。お暇な折にでも、ご一読頂ければ幸いです。

アルジェと飯能 カミュの生家と旧平岡レースの事務所棟_a0082132_1033069.jpg

こころの建築
 ――遠藤新(あらた)作・旧平岡レース事務所棟
                                        宮尾節子(詩人・大工の娘)

まづ地所を見る
地所が建築を教えて呉れる
いかに建築が許されるか
いかに生活が許されるか
そしていかに生活が展(の)びられるか
其をそこの自然からも学ぶ。
其所に土も石も草も木もある
そこから建築がのびて来る。
其の逆の方から云う、自然から材料を貰う、
自然に合わせて物をつくる。
そしてその作品をひっさげて人間諸共、
母なるまたは父なる
自然に帰る。


まるで詩のように美しいこの一文は、遠藤新がライト氏の弟子から建築家として一本立ちして、一年三ヶ月後に彼の建築物とともに『婦人之友』に寄せた「はしがき」の一部です。

世界三大建築家の一人であるフランク・ロイド・ライト氏の直弟子である、遠藤新氏の遺作にあたる貴重な建物が、わが町飯能に存在するとわたしが知ったのは、惜しくも、保存から解体に転じたと発表された後のことでした。

たまたまお手伝いすることになった、去る四月十四日の「旧平岡レース事務所棟の見学撮影会」にはスリッパの数が足りず、急きょ「よく靴を拭いておあがりください!」とお願いせざるを得ないほどたくさんの参加者が訪れました。遠くは新幹線で京都から駆けつけられたという古建築の著名な研究者もおられ、見学の間じゅう「これは、凄い」「ううむ、参りました」と建物の材質や、その意匠をこまかく点検しては、ひとつびとつに感嘆の声をあげておられました。その専門家の方の声に、教えられるようにして、改めて建築家・遠藤新の仕事の確かさや存在の偉大さを思い知る一日となりました。

見学会は、まずは取り壊しの始まった食堂棟に集まって、遠藤新のお孫さんである遠藤現さんの物静かな説明から始まりました。丁度はがされたばかりの天井やはずされた壁板から、遠藤新の講堂建築の特長である「三枚おろし(魚のおろし方を模した)」の構造をよく見ることができました。少々痛々しい解体途中の見学会は、半壊の食堂棟をはじめまだ壊されていない事務所棟をふくめ、遠藤新建築の骨頂である「正しさ」を発見することであり、そして、胸の内に秘めた「ひとのおもい」が、亡くなるときにはじめて、その美しい本心を明かすのにも似て「奥ゆかしさ」という日本人の美徳や、日本の美意識を再発見することでもありました。

『日本の建築は「新しい」という事許(ばか)り考えて「正しい」という事をおろそかにした。新人の意見の不徹底がそこに因する。何が正しいか立体建築が正しい。此迄の建築家は人の心を考慮に入れていない。心理の考慮なき建築は死人を容るるに適して生きたる心の住家とはならない。』

当日配られた資料にある、新(あらた)の言葉どおりの、今まで眠っていた眼が目覚めさせられるような、みごとに「正しい」建築の細部がつぎつぎ目の前に現れてくるのでした。<正しいとは何か、心ある建築のことだ>と新は言いたかったのではないでしょうか。ほんとうの良き建築とは、住む人のためのものであり、ただきらびやかな外観で驚かせる、見せかけのための建築ではないと──。

「第一に人間があります」と遠藤新は言う。「人間にはいろいろの要求があります。その要求の対象として建築が生まれます。即ち統一ある人格の生活の対象としての有機的な全一であります。」遠藤新がフランク・ロイド・ライトから受け継いだ『有機的建築』とは、周囲の環境との関連性から展開する生活と密着した、社会全体で考案される建築空間とのこと。<統一と全一>つまり、自然と人と建築が一つの「メリー・ゴーラウンドのように」(とわたしは思い浮かべました)生き生きと楽しく結ばれて日々を暮らし、心地よく歳月を共にし、お互いの存在を活かし合い、皆が混然一体となった一生命体として回転することだと──。

その美しい理念は、一見地味にみえる旧平岡レース事務所棟でも、控えめながらも随所に余すところなく活かされていました──背後に望む円やかな天覧山の頂きと事務所棟の方形の屋根のラインがぴったりと重なる心憎いその計らい。来客者は従業員の働く事務所内を横切ることなく周りに巡らされた廊下を通って応接間へと誘導されるその心配り。玄関階段の踏み板幅と蹴込み高の踊り場からのリズムの転調。二階会議室の四方からの風通りに対応して開閉角度が自在になる小窓。二部屋を一つに使用する時、椅子に座る者と畳に座す者との目線を揃えるために高くあげた和室の床。伸ばすべき直線はすっと健やかに伸ばし、触れる角は丁寧に面取りが施され目に温かく手にも優しい。一度目には見逃させ二度目に気付かせる各所の控えめで手を抜かない意匠──あげだすときりがないほど、よく目を凝らせば、建物の隅々に配された遠藤建築の宝が見つかる。

先ほど、「メリー・ゴーラウンド」と例えたけれど、それの極めつけが、じつはもう一つある。一階から二階へと貫く大黒柱の先で、傘の骨のように開いて、方形の屋根を支える『蕪束(かぶらづか)』という独特な構造だ。昔から、日本の民家には囲炉裏があり、囲炉裡を囲むという形で人びとが育んだ日本の文化には暖かい<中芯>があるようにわたしは思う。この蕪束を見上げていると、その中芯の大黒柱の周りに忙しく立ち働くかつての平岡レースの老若男女の姿が、見え隠れしてくるような気がする。そして蕪束の周りで働く人びとと共に廻りながら、活気ある飯能のひと時代を生き抜いた平岡レース事務所棟の建物全体が、一つの楽しいメリーゴーラウンドのように脳裏に浮かび上がってくるのだ。

ここは迎賓館でもなんでもない。平岡レース工場の事務所棟・食堂である。レース工場で働く普通の人びとが忙しく立ち働き、ときにほっとくつろぐ場所である。<わたしの仕事の場所ではない。あなたがたの仕事の場所である>・・・わたしにはそういう新氏の声が聞こえるように思えた。主人である普通の人びとの仕事や暮らしの邪魔にならないように、そして安全を保てるように、これほどまでに、建築家としての自己顕示の我欲を抑え、ほんとうの意味の「有機的建築」とは何か。<誰が大切にされるべきか。何が大切にされるべきか>──のほんとうを建築で見せてくれた人をわたしはこれまでに知らない。「これほどまでに、住む人の居心地を考えて…」と吐息をもらす見学者が幾人もいました。

見学会に出かけ、最後のお掃除会に出かけと、足を運び、通えば通うほど居れば居るほど、不思議に居心地がよくなる建物だった。夏の暑い日も素晴らしく風通しがよかった。けれど、現代のアーティストの作品然とした建築物のように、奇抜に目を引くものは何も見当たらない。その地味さが仇となり今回の解体という結末を迎えたのかもしれない。しかし、その普通で「地味な懐」の、何と居心地の良い建物だろう──。それは、飯能という町の居心地であり、飯能人という人柄の憩い心地を、もしかしたら遠藤新は一瞬にして見抜き読み解き、建物に顕現させてしまったのではないだろうか・・・。

かつて、ここの工場長だった方のお話を聞かせてもらう機会があった。いろいろと工場の栄枯盛衰の貴重なお話を聞かせてもらった帰り際に、そっとわたしはお尋ねしてみた。「ところで、建物の居心地はどうでしたか?」と。するとご年配の元工場長さんはふと遠い目になって、しばし考えてから、ぽつりとひと言「あったかかった」とつぶやかれた──。それから、にっこり笑って「なぜか、気持ちがあったかくなる建物だったな」とつづけられた。わが意を得たりの思いで、うれしかった。

その言葉をお聞きして、遠藤新の有機的建築とは「こころの建築」だと確信した。壊されてしまう「こころ」を忘れないようにしたい。

そういえば、ここを直して欲しいというところが、ひとつもない建物だったなあ」と元工場長さんは懐かしそうに、最後に言葉を添えられた。


アルジェと飯能 カミュの生家と旧平岡レースの事務所棟_a0082132_104484.jpg

さようなら。 まもってやれなくて、御免なさい。

by sechanco | 2011-09-13 10:29 | 日々
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