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晴れときどき 宮尾節子


宮尾のブログ talk to who?               
by sechanco
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絶望は、しない。

絶望は、しない。_a0082132_1115887.jpg大野更紗さんの、『困ってるひと』を読みました。
『困ってるひと』(困っている、ではない)のタイトルも、表紙の絵もマンガっぽくて、「なんだろな」面白そうだなとマンガを手に取るように、気楽に手に取れる感じです。

ところが、どっこい。
開いて、1ページ目の「はじめに」のことばにガツンとやられました。

なんと『絶望は、しない』とある。

ただものではない、ものがたり、ものごとがはじまるだろう、予測がついた。
しかし、本の題の「困ってるひと」はじめにの挨拶の「絶望は、しない」のことばのセンスに参りました。そして、信頼感がわいた。何がおきてもついていけそうな。なんだか大船に乗った気持の読む気が起きた。

ひと昔前の日本には、「絶望」ということばがなくて、みんな「困った、困った」で済ませていたという話を、どこかで聞きました。いいなぁと思います。「困った」と「やれやれ」でものごとが片付いたら、警察や詩人は要らなくなるかもしれませんが(笑)

深刻になると身動きがとれなくなる心や体を、「困った、困った」や「やれやれ」は、軽く動きやすくしてくれるような気がします。ふだんの暮らしのそばでふつうによく使う「使い慣れた言葉」だからだと思います。うっとりする言葉や夢みる言葉やかっこいい言葉は、文学から生まれるかもしれませんが。生きるために必要な言葉は、普段の暮らしの中にある、普通の言葉な気がします。

大野さん(サラサちゃんと呼びたいぐらい、親しみがわいています。)は「絶望」という文学語(?)を、「しない」という日常語でバッサリ斬りつけた。
ここがとても、かっこいい。
「絶望する」という言葉は、何度も見たり聞いたりしたことがありますが、「絶望は、しない」(そっちには、行かない)とスパット切り落とした、このフレーズがじつにあざやか。

あとは、みごと、みごとの、内容はもちろんのこと、ですが、文章、文体の見事さに、指笛を鳴らしつづけたいぐらいです。どうどうどどうど・どうどどうと押し寄せる困難困難また困難を、ばっさばっさと文体が切り抜けていく。「文は体をあらわす」というか、なんというか。痛快です。

でも、泣けます。

涙がにじむというより、知らないあいだに目から水が溢れている。笑ってるほっぺたをどんどん水が流れている。日が照っているのに、雨が降っているような、きつねの嫁入りのような。なんとも、晴れやかな、透明な液体に顔がぬれているのです。サラサちゃんと一心同体となって。

          ****

サラサちゃん、あなたは誰?「わたし、難病女子」

わたしは、この先行き不安、金融不安、就職難、絆崩壊、出版不況、鬱の嵐が吹き荒れ、そのうえ未曾有の大災害におをわれた昨今のキビシー日本砂漠で、ある日突然わけのわからない、日本ではほとんど前例のない、稀な難病にかかった大学院女子、現在二十六歳。」で

その病名は、自己免疫疾患の専門医でもないかぎり、どんな病気か推測つかないだろう「筋膜炎脂肪織炎症候群(きんまくえんしぼうしきえんしょうこうぐん)」+皮膚炎も併発。

その、まだ夢も希望も恋にもと胸もふくらみ脂がのったばかりの、二十六歳女子サラサちゃんの闘病記であるが。ことばはかるくあかるいが、闘病の試練は拷問のように信じ難く凄まじい。

「い────た────い────いたいいたいいたいいたいたい!!!」と絶叫しながら麻酔なしで筋肉を削り取られたり(「わたし、壊れる」)。おしりに穴があいてしまって、そこから元おしりが液体となって(?)とめどなく流れ出したり(「わたし、流出する」)。ステロイド剤の投与で危篤状態になったり(「わたし、瀕死です」)──まるで生き地獄のようなシーンがめくるめく展開する。

それなのに、読みつづけられるのは、カラッとした文体のなせる技。どんなことがあっても、大丈夫をつげるのは、彼女の文体だ。

「絶望は、しない」と始めに宣言しただけに、おのれの困難を乗り越え、道なき道を切り開くのは、「ことば」だ。めげそうな現実を、めげない言葉に変えていく、その「翻訳技」があっぱれ!肉体の困難を文体が越えていく…こんなことってあるんだ。あるんだね!とうれしくなる。──動けない彼女を、動けない言葉が、「動かして」いくのだ。──これが、すごい。ここに、ちいさな、きせきが、おきている。

つぎからつぎに、まるで障害物競走のようにゆくては塞がれるが、かならず乗り越えるそのつぎの「タイトル(小見出し)」を読者は心待ちする、ようになる。手段ではなく、ことばを待つのだ。

たとえばお尻に穴があき、たぶん凄まじい炎症がはじまった、女性としてもこの堪え難い状況を、「わたし、おしり女子」といい、その炎症から流れ出すものを「元おしり」と、呼ぶこのキュートなネーミングが読者をすくう。それは、ただの言い方なのに、まるで仮面ライダーやウルトラマンというヒーローが登場するぐらい力を持っている。ヒーローではない、それは比喩なのだ。
──そのことに驚く。

ヒーローとは、もしや元々は、比喩からうまれたのではないかと、立場が逆転するぐらいだ(笑)

元々の彼女は、ミャンマーの難民たちの民主化運動や人権問題に関わり、彼らのために世界を飛び回っていた人だ。実際の現場でたくさんの本物の地獄絵を見てきているから、土台がちがう。そう簡単には嘆きのヒロインにはならない(なっては彼らにもうしわけないが、きっとある)。そこがすごい。

とくに「わたし、生きたい(かも)」の章(このように、章毎(小見出し)のネーミングがすごくたのしい。ネームが難儀をすでに越えている。)がとくに切なくて胸をうつ。かのじょを、サラサちゃんを、あいさずにはいられなくなる。

「わたしは。」でブツンと終わる文末が繰り返すところは、ぐっと胸が詰まる。言い得ないものを、言い得ない姿のままに、言い切っている。
──これは、詩の姿だ。


こんなにたいへんで、こんなにひどいめにあって、こんなにこまってるのに、こんなにチャーミングで、こんなにあいさずには、いられない。こんなひと、いるんだ。

ひと、ばんざい。そして、ことば、ばんざい。
ひとの力と、ことばの力と、
そして、
あいの力に、感動します。

買って、読んでほしいです。ほんとうに、読んでよかった。
こころにも、ことばにも、ちからをもらった。

ひとの勉強にも、ことばの勉強にもなります。

そして──
感極まったところに、どうぞ見つけてください。
虹が立つように、たしかに、
詩が、立ち上がっているのを──!

それが、わたしは、うれしかった。
それが、わたしを、うれしく、させてくれた。


サラサちゃん、だいすき!



絶望は、しない。_a0082132_11425034.jpg

*以下に、『困ってるひと』本文から、こころに残った部分を少し引用させてもらいます。

『一月、二月、真冬。極寒。
わたしの精神は、いったん、死を迎える。』(「わたし、シバかれる」)

『これが、苦しむ、ってことか
 わたしははじめて日本の、自らの「本質」と向き合った。』
                    (「わたし、死にたい」)

『「何でもするよ」
 「何でも言って」
 それは、「その場」「その時」の、そのひとの本心だと思う。優しさだと思う。そんな言葉を言って もらえること自体が、有り難いことだと思う。
  でも、ひとは、自分以外の誰かのために、ずっと何でもし続けることは、できない。』(「わたし、マジ難民」)

『崖の淵で、すれすれに立っていた。そこで、何かの因果か偶然、先生がわたしの背中を押した。
 突き落とされた「底」には、言葉も、感情もなかった。誰もいなかった。これが絶望なんだと思った。これがひとの死だと思った。そこには、苦しみ以外に、何もなかった。生きる動機は、なかった。』(「わたし、生きたい(かも)」)

『病室に戻ってベッドに入り、天井を見つめながら。わたしは、もう少し生きたいかもしれない、と思った。この気持ち。この感覚。もう一回くらい。キスしても、いいかもしれない。』(「わたし、生きたい(かも)」)

『本当は、会いたいときに会えたらいいのに。このままずっと一緒にいられたらいいのに。ふつうに、デートできたらいいのに。そんなこと、無理だとわかっているのに、できないとわかっているのに、笑って「またね」と言わなければならないのに。』(「わたし、引っ越す」)

『619号室に戻り、視界はかすみ、朦朧と倒れ込む。でも、このときは。底知れぬ痛みも、想像を絶する疲労感も。あらゆる無理難題も、そういうものは、もちろんあるのだけれど。夜の病棟の静けさのなかで、ただ。「また、会えたらいいな」と思いながら、意識はうすれていった。
 こ、こういうのって、あ、あいのちから、とかっていうのかしら。』
                        (「わたし、引っ越す」)

『ひとは、なぜか生きる。
 ひとは、なぜか、考えたり、悩んだり、好きになったり、嫌いになったり、理性的になったり、非理性的になったり、落ち込んだり、ハイになったり、死にたくなったり、生きたくなったりする。』(「わたし、はじまる」)

『なにがあっても。
 悲観も、楽観もしない。
 ただ、絶望は、しない。』(「わたし、はじまる」)

『コツン、ずりっ。コツン、ずりっ。
 杖の音、わたしが身体をひきずる音。
 二年前のわたしの足音は、違った。
 コツコツ、コツコツ。もしくは、ガシガシ、ガシガシ。
 誰の痛みもわからなかった。何も知らなかった。
 今はすこしだけ、わかるよ。ひとが生きることの、軽さも、重さも、弱さも、おかしさも、
 いとしさも。』(「わたし、はじまる」)

『「外」に出る。一歩目を、踏み出す。
 六月の、ちょっと生暖かい風が吹いている。
 杖を右手でめいっぱい握って、深呼吸する。まずは、杖から前に出す。
 コツン。
 次は、足だ。地球の重力に逆らって、腿をあげて、膝関節を曲げ、
 足の裏を地面から持ち上げる。前に、出る。
 ずりっ。』 (「わたし、はじまる」)



               ******
☆『ほぼ日』の糸井さんのインタヴュー記事に彼女は次のように答えておられました。

「やっぱり、人が生きることというのは、
抽象的な言葉の中にあるんじゃなくて、
その日に何を食べて、何を見て、
何を考えて、どういう仕事をして、
その仕事というのは具体的に
こまかくどういうことで、
いくらぐらいお金をもらえて、
何時に帰ってきてどういう生活をしてるのか、
ということの中に
あるような気がしたんです。

それから自分は、人の日常の具体性に
関心を持つようになりました。 」(大野更紗)


サラサちゃん、いい!
サラサちゃん、どうもありがとう。

☆四月の終わりに、「すてきな一人の女性と、すてきな一輪草(自生してました)と、すっごい一軒家」を見つけて、季節はさあ五月へと向かいます。
みなさま、どうぞよい週末を!

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*最近、長く文章を書くのになんだか骨が折れるようになっています。ながながと拙いものを最後まで読んで下さって ありがとうございました。

by sechanco | 2012-04-28 14:00 | 日々
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