8月30日・国会議事堂前のデモに参加したレポートをIWJ岩上安身さんのサイトに書かせて頂きました。つたない文章ですが、あのたくさんの人間の粒のひとつとして。みなさんと同じ仲間のひとりとして。わたしの思ったこと、感じたことです。普通のことしか、書いてないので、恐縮ですが。13万分の1の市井の声として(12万人とも4万人ともの発表もありましたが…それも虚数な気がして)、読んで頂ければ幸いです。→
『歴史が目の前にある──70年の宝物を。宮尾節子』
「"malgre moi"(マルグレ・モア)というフランス語がある。「私のような者であるにもかかわらず」とか「意に反して」とかいう意味だが、60年安保の時に、丸山真男という政治学者が自ら立ち上がろうとされたわけですが、その丸山先生がロマン・ロランとマックス・ウェーバーについて語っている文脈で、この"malgre moi"という表現に言及しています。「私のような者であっても」という気持ちが、非常に大事だと思い、私はここに立っている。」
9月16日に法学や政治学などの研究者で作る「立憲デモクラシーの会」の13人の学者さんたちが、国会前で素晴らしいリレートークを行われました。上の言葉はその中の石川健治(東京大学・憲法学)氏のスピーチの中の言葉です。
まさに"malgre moi"「私のような者であっても」・・・という思いで、出かけた私に、そしてこのようなものを書いてしまった私には、救われるようなフレーズだったことを、付記しておきます。(*「法案可決しても運動はさらに続く」 ~憲法学者らが国会前でリレートーク:江川紹子 さんの記事より)
「法案可決しても運動はさらに続く」 ~憲法学者らが国会前でリレートーク
同じ言葉でもこれ程違うものか、篤と感じた。うわべを整えるためだけに物のように並べられた言葉(──だから、それは物のように始終覆され)と。ぜったい届けようと腹の底から絞り上げる血の通った言葉(──だから、それはこちらの同じ血を沸かせ)と。可決に抗った野党の絶唱は悪政への、供花たれ!
聖クララ像・舟越保武石彫より(於:練馬美術館)