友達の
ちいさい子供に
だれかが
「お母さんすき?」
と尋ねたとき
その子は
「だいすき」と
こたえました
そのひとは
つぎに
「お父さんは?」
と尋ねました
その子は
すこし 考えてから
「ふつう」と
こたえ すこし
悲しい目を しました
おとなは
ひどい ことをするものです
こどもに あいを比べることを
おしえる
だいすき と ふつう
ちょっと ちちおやは にがてだった
でも きらい をなんとか
うかいした そんな愛の逡巡が みえた
ふつう
*(それから時が経ち)
すきときらい
あいとにくしみ
それらは
相反することではなくて
「距離」のことなんだ!
と ひらめき
すくわれました
「いつか貴方を」
それが今ではないこと
憎しみとは
その距離である――
そんな 気づきで 書いた
たぶん
そんな 詩です
ものものしい詩となってしまいましたが
けっきょく
われわれ詩書きのできることは
中のものを 外にぶつけることではなく
外のものを中に 内面に 問い続ける
それほか ない と いま 思うに至っています
核弾頭ミサイルをも
ないめんに 飛ばさねば――
復讐するは――ではないですが
敵はつねに 我にあり
いまここ です。^^
*こちらのnoteというサイトに
少し重い詩や、論考、エッセイなど書いていこうと思います。
ときどき、覗いてやって頂ければ幸いです。
*それにしても
わたしも こどもごころに
いやな気分がしたものです
無神経な
愛を試されることを
父や母への愛を
比較させられる暴力を
大人になると
やってみたい気持ちもわかりましたが(笑)
忘れたくないです
よそのおとなが 無闇に答えを せまる
<パパとママと どっちが好き?>
あれは あきらかに こどもへの
パワハラです。