少し思い出したいことがあって、本棚から取り出した古い映画のパンフレットから、色あせたメモがこぼれ落ちた。
「言われてしまって、言うことのない日がある。例えば、この映画の字幕を見たときがそうだった。
『僕が泣いたのは、別の理由なんだ。今、ここにいる母さんを僕は思い続ける。その椅子に座っている姿をね……泣いたのは……別の事だ……つまり、母さんはもう僕の事を考えてくれない。その椅子に母さんが座っていた頃は、遠くにいても母さんが考えてくれていると思うから生きられた。僕の支えだった。でも、亡くなってしまった母さんは、もう僕の事を思ってはくれない。母さんにとっての僕は、もう生きていないのだ』私は、この日いち日置き物のように黙った。次の日から、この件は永遠に黙った。つまり問題は解決したのである。10数年抱え続けてきた。あのときわたしは、誰の死に泣いたかという問いはここで見事に答えられていた。」……私の古いメモにはこう書いてあった。
わたしにとってのあなたは、生き続けても。あなたにとっての僕は、もう生きてはいないのだ、というひとりの死がかかえこむもうひとつの死の悲しみ。『カオス・シチリア物語』での、亡くなった母親の亡霊と息子が話すシーンである。『泣かないで、ルイジ。私を愛しているなら、今、こうしている私を覚えていて。元気な私を』という母の亡霊のなぐさめに対して、息子が告白する。
なみだは わたしのいちぶが わたしからもぎとられた
いたみでふきだす とうめいな ち なのかもしれない
ね。