求めていた詩にやっと出会えたこと。探していた思いにやっとたどり着いたこと。ここしばらく、そんな至福の朝が続いている。
朝目覚めることがうれしい。わくわくする、ああ詩を書ける――と思う。うれしさ。夜明けと共に目覚めて机に向かう。プラットホームに立つような旅の始まりのわくわくしたあの気持ちが毎朝訪れる。書けないときは、やっと出会えた詩人の詩を書き写す。それもしあわせ。すきな詩に目や指や気持やが触れていること。バレエを習うような気持で・・・ゆびさきがたどる。それだけでとても満たされる。
夜寝る前には、やっと出会えた思いの人の書いた言葉をたどりながら眠りにつく。もう少し読みたい、もう少しこの方の言葉に触れていたい・・・。と、思いながらも疲れたからだは波に運ばれるように、その人の清清しいことばのかけらの小さな舟に載ったまま、安心な眠りに導かれていく。もっと、もう少し・・・とおもいながらもとろけるようにちからつきてねむりにつく。うふふふ・・・と笑っているときもあるらしい。
信頼・・・それは、こちらがその受け皿を持てたとき、もたらせるものだろうか。豆腐屋の呼び声に皿を持って走るように。わたしは皿にめぐりあえた。その皿に載るものをみな信頼してしまう皿を。。。
その皿とは何かを、うまくまだ言えないが。まだ現れていない詩を求めて、白紙に向かって書き続けてきた、ずっと白紙上を生き続けてきて、やっと詩が実ったという
のではなく、その白紙が皿として実ったといえばいいか。。。なんだか予想外の局面に出た感じです。わるくないなあ。これ。
写真の山桜。花びらの白さと、夜明けの窓ガラスの白さ、その粒子の違う・住む世界の違う白さを自在に行ったり来たりすること・・・それがいい詩が書けたときの感じよ。(^_^
木の芽時(笑)というか、木々が新芽を吹き出すとき
体からも言葉が吹き出す。いまとても、しあわせです――――宮尾節子。
死ぬときに、うっかり忘れんように書いておこうっと。
あしたはあしたの風におまかせ。(^_^)/~~
てのひらに現れたシルシを読んでいる。
シルシはあらわれた、とだけ――
記しておく。急ごう。