晴れときどき 宮尾節子


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by sechanco
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カテゴリ:地域に生きる( 9 )


恋するフォーチュンクッキー 飯能バージョン


「恋するフォーチュンクッキー飯能ばーじょん☆」ができました。「あ、知ってる」顔や、「あれ、知らない」顔の、飯能市民の。老若男女が揃ったり揃わなかったりの、このユルさがたまりません。
皆さん。どうぞ、自然が素晴らしい、人が楽しい飯能へ!

そして、
☆「美しい星」(三島由紀夫)の町、飯能へ。いらっしゃいませ!
お待ちしております。ほっこりしに来て下さいませ。

飯能を大好きになってね!そんな願いを込めた作品が完成 (^_-)-☆
企画から撮影・編集まで3か月、54カ所のロケ。
出演&ご協力いただいた皆様ありがとうございました!
恋するフォーチュンクッキー飯能ばぁーじょん☆製作実行委員会 一同
「恋するフォーチュンクッキー飯能ばーじょん 製作実行委員会」が
参加者850人と熱意と心を込めて作りました。


実行委員会のみなさん、ありがとうございました。
わが町が、ますます、たのしくなります。

スマイル狛犬さん「加治神社」の「阿くん」がナイスでしょう?^^

*わたしも、ちょこっと出演(笑)してるかも…わかるかな♪
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by sechanco | 2014-05-26 10:25 | 地域に生きる

はじめの一歩

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3月から始まった飯能市生涯教育科主催の文芸入門講座『はじめの一歩』。文章・短歌・川柳・俳句・詩についての講座を、『文藝飯能』のそれぞれの選者が講師を担当しました。一週目は講義、二週目は実践という各科目二回セットの講座。
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わたしは7月に、最後の詩の講座を担当しました。この講座の受講者のターゲットは定年退職後の一般の方。ちょうど、これの前に同様の大妻女子大での講座があったので、女子大生と定年退職後の一般人。どんなふうに重なる部分、違う部分を作っていけばいいかを、考えるのが楽しかったです。

『森林文化都市』は飯能市のキャッチフレーズです。その文化面ということで、飯能に足跡(そくせき)を残した文学者に触れるところから、話を始めました。飯能を代表する詩人として「蔵原伸二郎」さんはじめ「千家元麿」さん、金子光晴さんの足跡もありますと。特に初回の講座では、飯能と詩との繋がりのおおもとの存在、蔵原伸二郎の代表的な詩や、蔵原に師事していまや蔵原伸二郎の研究者としても最もよく知られる、詩人・町田多加次さんの詩をいくつか紹介しました。

*町田多加次(広小路に住んでおられます)
飯能の詩人といえば蔵原伸二郎ですが、彼の有名な詩集「岩魚」も、実は町田さんのたちあげたいわば自家製出版社から出ています。蔵原伸二郎の弟子としても研究者としても名高い人です。でも、町田多可次なくして蔵原なし。飯能の詩壇なしだとわたしは思っています。高校時代から「蛍雪時代」という学習雑誌に投稿し常に特選を取り、注目され将来を期待された若き詩人でしたが、いろいろとお家の事情等重なり、ある時期から、自らの詩作からは身を引き、蔵原の詩業を語り伝えること、飯能に新しい詩を詩人を育てることに、骨身を削って尽されています。そして、「現代詩研究会 岩魚」では毎月、非常に質の高い講座や詩を学ぶ人たちへの指導をしておられます。そして、そのグループの中からは「埼玉文学賞」を取られた高橋紀子さんも出ています。ご自身も昨年11月その質の高い文化的なお仕事に対して,埼玉県から「埼玉文化賞」が贈られています。

詩人も多くそうですが。自分の事しか考えない、考えられない表現者が多い中で。飯能人はひとあじ違います。もうひとまわり、大きい文化を育てる懐を、器をこころのなかに持っていると感じます。詩人以外でも、たくさんの文化人が、飯能とゆかりがあります。それは、かれらを、うけいれ、たすける、度量があったからです。じぶんではなく、ひとを。という、美しい文化が飯能にはそっと息づいています。飯能の文化の、飯能人の底力というのは、その懐のおおきさ、ふかさ、あたたかさ、ではないでしょうか。蔵原を支えた飯能の地、そしてその蔵原を支え、飯能の詩の土壌を支えた町田さんの存在は、たいへん大きいです。
 なにかで拝見した、高校時代に書いたという恋の詩がよくて、お借りしにいったのですが、お話しているうちに、コピーを忘れてきてしまい、詩集の中からふたつ選びました。*「小さな葬列」「町田多可次詩集」は図書館で読めますので是非。

 まずは、蔵原の詩からご紹介しましょう。きつねの詩人と呼ばれるぐらい、たくさんの狐の詩を書いています。
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(*町田多加次さんが正しいお名前です。失礼を致しました。)

どちらの詩も、景色をカチッと捉えて、情もぐっと抑えこまれ、余韻が広がる、硬質で美しい詩です。町田さんのお話によると「蔵原さんの口癖は『削れ、削れ』だった」(詩作について)とのこと。その薫陶を受けた、町田さんの詩も素晴らしいです。いくつか二人の詩を読み比べていると。蔵原詩がぎりぎりまで叙情を、削ぎ落していくクールな男詩だとすれば。同様に簡潔美を受け継ぎながらも、町田詩はそこを踏み切れず、そっと踏み残す慈愛のような温かみが加味されて、見えます。そこに、師として支えられた人と、弟子として支えた人の姿や人柄を垣間みるような思いが、わたしにはします──。

何をしてるのですか?と問われて「詩を書いています」と答えると、相手の方は、ふっと遠くを見る様な目をされる、視線が泳いで、話の接ぎ穂を失う…そんな、場面に何度もあってきましたので、リアクションには驚きませんが(笑)。あまり人前には、出てはいけない、日陰者のような存在が詩人のようにも思います。世間では、生き辛い、生かせてもらい辛い、、なのに、なぜか飯能は、そんな詩人が住み易い町、生かせてもらい易い町、なのかも知れません。なぜでしょう。疎開してきて一時的な逗留のはずの蔵原がけっきょくは居着いてしまい、終の住処となった飯能とは、どんなところなのでしょうか。

その理由を探しにというわけでは、ありませんが。今回の講座の参考資料をあたりに、出来上がったばかりの「新図書館」に出かけた時。ちょうど「飯能文化」という古い飯能の文芸誌の展示がありました。そこの展示を拝見していて、飯能人の懐の深さ、意識の高さに再び、感動する思いを抱きました。この文芸誌は、なんと戦後すぐの混乱・困窮期に発行されたとのこと。その巻頭言にまず、胸を打たれました。そこに、こんな一文を発見したからです。

「終戦後の窮乏は戦時中よりもひどく、軍人の自殺、配給物資の争奪、闇市の出現、近隣農家への食糧買い出しなどが行われ、人々の心は荒んでいきました。このような中で<(戦時中より酷い)戦後の荒廃を救うには文化運動しかない>」との強い意志と希望をもって立ちあがった人たちがいました。そして発行された文芸誌が「飯能文化」でした。

ふつう。人が生きるために、経済のために、まっさきに削られるのが、役には立たない文化(とくに文学)ではないでしょうか──。それを、この地のひとは、生きる為には「文化運動」しかないと、立ち上がったのです。飯能人は凄いなあと思います。人は働かなければ、生きられない。

けれど、働くためには、生きる気力がなければならない。生きる気力、それは人の心が作ります。人の心が折れては、生きられない。その人の心を、生き生きとさせるには、文化しかないと思い立ち、戦後すぐに行動した人たちが、この地には居たわけです。文化人だけでは、運動は大きくなりません。その文化人をしっかりと支える、深い懐の人々が飯能には居たわけです。

その文芸誌「飯能文化」の中心的役割を果たしたのが、この地に疎開して来て居着いてしまった。詩人・蔵原伸二郎。「魅力的な人間だった」彼を応援するひとが次々現れ(お寺の住職さん、お医者さん、商家の主等々)その後ろ盾を得て、同時期に疎開してきた文化人たちを取り込んで、飯能文化は花開くわけですが。

昭和40年3月に65歳で逝去した蔵原が、その1ヶ月前に、生前 最後の詩集『岩魚』(詩誌「陽炎」発行所」39年刊)で読売文学賞を受賞しています。その詩集は、彼に師事した町田多加次氏など子弟たちが「詩集刊行会」を設置して、多くの人に呼びかけることによって発行されるにいたっています。

つまり、詩人・蔵原伸二郎を支える飯能の人々によって、受賞詩集は刊行されたわけです。


はじめの。戦後すぐに、「人々の荒廃を救うには文化しかない」として、人々の救済すなわち魂の救済として文芸誌『飯能文化』を発行したこと。そして、いっときは戦争賛美詩を書いてしまった蔵原の魂を救済すべく、その後、この地で彼の書いた美しい詩群を『岩魚』という一冊の詩集の形で世に送り出したこと。そのことによって、文学賞を得て戦争詩人という彼のレッテルをはがし得たことなど。

このような発想ができる文化の土壌が飯能にはあり、文化を暮らしに取り込む才能が、飯能人にはある。これが、飯能文化の底力ではないか。そのようなわが飯能への思いのたけを(笑)話しました。

あと、飯能の詩人以外でご紹介した詩は「自分の感受性ぐらいは」(茨木のり子)・「夜になると鮭は」(レイモンド・カーヴァ)・「釣り上げては」(アーサー・ビナード)など。いずれも、年齢的に共感できる人や、読みやすくて、飛躍・転調の楽しさを味わえる方の詩を、選んでみました。

詩は何のために・・・のところでは、以下のような話をしました。

・こころのためです。
 胸のなかのこころに、ことばを与えてやると、こころは成仏するのです。
 くやしいおもい、はらだたしいおもい、ゆるせないおもい、外に出すと恐ろしいことになるかもしれない思いも、ことばにして、紙に書くと、こころが落ち着きます。誰も傷つけずに、自分の傷を癒す事ができるのです。短歌や俳句のように決まり事のない、自由なのが詩。小説のようにいろんな資料を調べて、難しい知識を得たりしなくても、書けるのが詩。じぶんのおもいを、きちんと出してやるだけで、いいのです。

「表現するということは、自分が固有な生を生きていることを他人に表明することである。」(鈴木志郎康)「表明すること」には、わかってもらうことや、理解されること、が入ってないことに注意。「自分の固有な経験を他人に伝えることはできないけれど、ことばによってわたしたちは他人と関係することはできるのである。」(「現代詩の理解」鈴木志郎康)・
 友達や家族にわかってもらえなくても、思いが言葉にできると、気持ちはすこし楽になって、落ち着きます。何ででしょうね。やっぱりわかって、ほしいのだと思います。わたしという存在をこの世に認証してほしいのです。それは、人ではなくて、表現でできる、その表現のひとつが詩なのです。


その後で、入門講座ということなので、ざっと詩について(本を読めば書いてあるようなことばかりですが・・・詩の種類や歴史や比喩についてなど)ちょっとふれました。

詩とは何かを、まず「広辞苑」から引き。詩の種類を「用語」「形式」「内容」で分類すると。「用語」の分類では<口語詩>
(現代に使われている言葉で書かれる詩)<文語詩>
(昔に使われていた古い言葉で書かれる詩。)。「形式」の分類では<定型詩>
(短歌・俳句など,(五・七・五など)音の数や句の数の決まっている詩。音数に一定の決まりがある詩。)<自由詩>
(特定の韻律や形式をもたない詩。音数に一定の決まりがない詩。

)<散文詩>
(短い語句ですぐに改行せず、普通の文章(散文という)のように文を続けて書く詩のこと。)「内容」の分類では<叙情詩>(
作者の心情(感動)を中心にうたった詩。

)<叙景詩>
(自然の風景などを写生的・客観的にありのままに描写する詩。)


<叙事詩>(
歴史上の事件や人物などを中心にうたった詩。)などに分けられますが。実際には詩には、万人共通の決まり事はありません。だから、短歌や俳句などの字数や季語などの、「きめごと、きまりごとから、自由になったのが、詩・自由詩」といえます。。そんな話もしました。

自由詩は、1882年明治15年の「新体詩抄」に始まりをおきます。。という、ざっと詩の歴史的流れに触れましたが。資料を調べれば、誰でもわかる内容なので(笑)、このへんにしましょう。

最後に参考までにと「詩を読む人のために」(三好達治)、「現代詩手帖現代詩」(小野十三郎)ほか、大岡信、谷川俊太郎等の、現代詩入門の本を数冊持参して、ご紹介しました。

あとは、女子大での講義と似通った内容「1詩とはなんだろう 2私と詩との出会い 3詩が生まれるとき 4詩が住んでいるところ 5詩は何のために 6詩を読んでみよう 7詩を作ってみよう」の括りで講座を進めました。それと、大妻で時間の関係で話せなかったことなど、詩についてわたしが思う、あんなこと、こんなことを、たっぷり時間があったので、同じ飯能住民同士の世間話を交えながら話しました。

二回目は、ワークショップということで。宿題に出しておいた、それぞれの方の、名前を折り込んで作る、自己紹介の「折り句詩」を発表しました。
お手本は、女子大のときと同じ、山田兼士さんの折り句詩(こんどは『羽曳野』)と葉月野さん・さいとうみわこさんのあいうえお25文字の折り句詩と、ついでに姑に作らせたものも混ぜました(笑)。

「あんまり上手に作らないでくださいね。わたしの立つ瀬がありませんので」とお願いしておいたのですが(笑)。詩ははじめてという方も多かったのですが、とてもみなさんお上手でした。さすが、ご自分のアピールは、みなさんウマい!(笑)。折り句詩で、詩に目覚めた方がいらっしゃたのは、うれしかったです。

最後に、表紙を作ってきておいたので、みなさんの詩を綴じて「折り句詩集」にしました。
「はい。これで、みなさんのいちばん最初の詩集ができましたよ。おめでとうございます!」なんて盛り上げました(笑)
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その中の幾つかをご紹介します。

田んぼの中の一本道を
母さんと二人で運んだね
大きなスイカと
黄色いマクワウリ
主のいない野菜小屋の横には牛がいた
こんな遠い遠い景色が胸をつく(高雄さん)

たまには
かなり どじしたり
のんびりすぎるの誰に似た
横浜、演歌、大好きで
生まれた時から 飯能人
これもご縁とよろしくね。(高野さん)

宝の箱をギーとあけると、嬰児が天から贈られてきた
群青に染まるこの世に、魂を未来に伝える使いとして
小さなすみきった瞳 私が映る

いつまでも いつまでも
小さなその瞳に焼きつけて
老いたる父が、この世に生きしことを(田口さん)

感じる心があるから
詩なのかもしれない
沸き上がる
 抑えようのない怒りや
ざわざわと押し寄せてくる
 不安の波を
決められた型なんかに
 押し込めちゃいけない
ささやかなことばを飲み込み
泣きたい想いさえ
 閉じ込めてきたけれど
遠慮なんかしない これからは(柏崎さん)

☆みなさん、詩なんて生まれてはじめて、とおっしゃっておられたのに
なかなかの出来映えでした。たのしんで書いてくださったのが嬉しかった。
最後の柏崎さんの詩は、2回の講座でわたしが伝えたかった思いが
実ったような、うれしい作品でした。

ちなみに、例として出した、わたしのは…

自己紹介詩/名前折句詩(例)
宮尾節子(みやおせつこ)


見てのとおりにコンガリと
灼けたお肌の南国そだちで
大きな声じゃ言えないけど

せっせと好きな詩を書いて
詰まるところ**になって
こうして此処に立ってます

(**ご想像にお任せします。)


みずのおと
やさしくて
おもいでは
せつなくて
つよがりも
ここまでね


三日月、空に懸かるころ
屋根の上ではフクロウが
尾羽を畳んで鳴いてます。
背伸びしていた恋を終え
辛い別れも喉もと過ぎて
今夜は、涼しい風が吹く。

*オマケ(義母の作です。)
みずうみの上に
やまの影がうつり
おおきな赤い鳥居が見える
すずしい風に吹かれて
みなもがゆれる
こみちの続きの木々が蒼めく

☆こんな感じで、4時間も、どうしよう、と思った、講座も、無事終わることが
できました。ありがとうございました。
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by sechanco | 2013-09-05 14:40 | 地域に生きる

みんなの飯能レース展

a0082132_23124961.jpg池袋から西武特急『レッドアロー』に乗ると40分(急行は50分)。

天覧山・多峯主山(とうのすやま)・蕨山・大持山・伊豆ヶ岳等七割を山野に囲まれて、南東にひらけた人口8万ほどの市街地。その街の右頬をなぞるように入間川(上流では名栗川)が花のお江戸は東京湾に向かってゆるやかに清流を流す。奥武蔵の玄関口に、わが町・飯能(はんのう)はあります。かつては大雨で増水した時を見計らって、「それいけ!」と山から切り出した材木を積んだ筏に棹さし、村の剛毅な男衆が荒ぶる川と格闘しながら、江戸に向かって運んだ「西川材」の産地でもあります。「江戸の西の川」からということで「西川材」と呼ばれ重宝され、江戸城の増築時(もこの木材を使用したという)御用達の良材として、また江戸の町の民家の建築材として人気がありその名を知られました。

もうひとつ。飯能は古くから「繊維の町」としても有名でした。(*今話題の「スカイツリー」の制服を作製して注目された「マルナカ」は、飯能に残る唯一の創業145年の繊維会社。この地伝統の織の技術を高く評価され、ファッション業界を陰で支える存在です。)特に、絹織物の産地として知られました。

「『筬(おさ)のひびきでトンカラリと明けりゃあ』と地元に仕事歌がのこるほど、飯能市周辺は織物の産地として栄えました。この町で栄えた絹織物の起源は、和銅年間(708~715年)に迄さかのぼります。特に、裏絹(高麗絹とも)の産地としてその名を知られていました。しかし時代は流れて、繊維製品自由化の影響で安い海外製品に押され、国内の繊維産業はたいへんな打撃を受けることになります。同じく当地の繊維産業もどんどん衰退し、現在も活躍中の「マルナカ」さん以外、往時を偲ぶものは「絹甚」「織物会館」「平岡レース事務所棟」などの旧い建物の造りや門構えに、栄えし頃の面影を残すのみの現状となっています。

そして、この度は。その中でも最も有名で実質、わが町の繊維の歴史の中心的存在であり、「繊維の町・飯能」のシンボルでもあった「平岡レース事務所棟」が、保存を願う多くの市民の声も空しく、ついに解体されてしまいました。(*ただ、市長のご厚意によって、丁寧に解体され、「再建可能なように部材は残された」ことが不幸中の幸い、わずかな希望を灯しています。)

この「平岡レース事務所棟」は、世界の四大建築家フランクロイド・ライト氏の愛弟子・遠藤新氏の「最後の建築」としても、知る人ぞ知る貴重な建物でした。ところで──遠藤氏の生地は福島県新地町。今回の津波でひどい被害に遭いました。その悲しい時節を同じくして、彼の最後の建築も、当地で解体されるという皮肉な運命をたどりました。残念です。福島と飯能はいろいろとご縁がありました。この「平岡レース」は、「福島県三春市」に最近まで工場を持っていました。こちらの平岡レースの従業員の方たちも、たくさん三春の工場にも勤めており、行ったり来たりが頻繁にあったようです。そのご縁でまだ交流が続いている方々もおられます。

この平岡レース工場の敷地跡にひっそりと一本の桜の木が立っています。この「一本の枝垂桜」(こちらは残して頂きました!)は、実は。その三春の工場とのご縁で植えられた、日本三大桜『三春の滝桜』の「孫桜」なのです。今は夏草ぼうぼうの工場跡地に、この一本の桜木のみ、さびしく残っています──。

                  ***

そのような──素晴らしい建物がわたしたちの町飯能にあったこと。そしてそこでかつて、飯能の多くの若い女性が、意気揚々と働いて──このように美しいレース織り物を作っていたことそしてその見事な製品は「飯能レース」と呼ばれ、広く国内に遠くは海外にまで「飯能」の名を知らしめていたことなど、みなさんに知っていただき、そして、わが町の素晴らしさを思い出して頂きたく、前回の『平岡レース事務所棟パネル展』にひきつづき、今回は『みんなの飯能レース展』を開催致しました。

この「まち角展覧会」は、ある日。「文化遺産を活かす会」のメンバーが「わたし、平岡レースで作ったレースのドレス持ってるのよ。昔は、お金をためてレースを反物で買って、服を縫ってもらうのが、わたしたち飯能の女性の楽しみだったの。反物で買ったから、姉妹三人分できたわよ。」と、ドレスと美しいショールを見せてくださってのが、きっかけでした。

「『飯能レース』(平岡で作られる製品はそう呼ばれていました。)の洋服や生地を持っている方、まだいらっしゃるかしら?」と問いかけると。次から次にと、口コミで伝わって、あっと言う間に小さなものまで含めると300点以上が集まりました。急遽決まった展覧会に向けて、町の端から端へと、さまざまな方に色んな思い出話をお聞きしながら、お借りして巡るのが、とても楽しかったです。

「もう使わないけど、捨てられなくて」とおっしゃって、押し入れから出して来られる、女性の方々(*上は70代後半から50代前半までの年配の方が多かったです)の手のひらには、さまざまな模様の美しいレースの品々が、お花畑につぎつぎ花がひらいていくように、広げられていきました。取り出したレースのハンカチやドレスや反物を愛でるお顔は、みなさん、少女のように華やかでした。見せてもらうわたしたちスタッフも、きれいなものを見るとしあわせな、心はすっかり乙女に戻って(笑)、いつのまにかはしゃいで「わあきれい!」「かわいい!」「すてき!」と黄色い声をあげてしまうのでした。

これらは、そうして、集められた古いレース製品(平岡レース・平仙レース)の数々です。開催は7月14日と15日の二日間。ちょうど、飯能夏まつりのにぎわいの中で、商店街の元ふとん屋さんあとの「光文堂」(パネル展と同じ)での展示となりました。お祭りの人出もあって、今回もたくさんの方々にご来場いただきました。地域の新聞にも掲載され、テレビ放映もありました。

楽しかったのは、かつて「平岡レース」に勤めていたという方々が、懐かしがって、次つぎ訪れてくださり、いっときは展覧会場が「平岡レースの女工さんたちの同窓会場」になったことでした。「まあ久しぶり!」「あなた何年勤めたの?」「わたし34年。」「わたしはテスト生の頃からよ」「わたしはパンチの仕事」「あら、これわたしが作った模様よ」「わたしはお直しの担当」話が弾みました。・・・そして「こんなにしてもらって、ありがとうございました。」と帰り際に目頭を押さえて、わたしたちスタッフにご挨拶してくださる年配の方もおられました。思わぬ言葉に、戸惑いましたが。。きっと、ご自分たちの作った製品や懐かしい仲間に再会できて、気持がタイムスリップされたのでしょう。よろこんでもらえて、うれしかったです。

商店街の一角でしたから、目の前をお祭りの屋台がにぎやかに通りすぎます。その屋台を引くおじさんたちまで、お祭りから抜け出て、着流し姿で飛び込んで来られて「わしは、平岡の営業やってたんだよ」「飯能レースは東洋一だったよ」と汗をふきふき、イッパイ入った(笑)赤ら顔で懐かしそうに、会場を見ていってくださいました。

今回は、多くの女性の方がご来場くださいましたが、くちぐちに言われることは「うちにもいっぱいあるよ」「押し入れに同じのがある」「母にもらった」・・・なんとたくさんの飯能の女性は、美しいレースの洋服や品々を持っている贅沢でお洒落な方々でしょう!驚きました。おかげで、見に来てくれた方が、「ちょっと待って、家から持ってくるから」「わたしもレースの羽織があるから取って来るよ」「わたしはハンカチがいっぱいあったなあ」「わたしのこの日傘、飯能レースであつらえたのよ」・・・などの声とともに、つぎつぎご自分のを家から持って来て、どんどん会場に展示品を増やしてくださるのでした(笑)。

ほんとうに、みんなでつくる楽しい、しあわせな「みんなの飯能レース展」となりました。ご来場頂いた方、レース製品をお貸しくださった方、ほんとうに、ありがとうございました。──活かす会・スタッフ一同。
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夕方にはモデルさんに衣装を着てもらっての、小さなファッションショーもありました。*モデルさんたちが来ているのは、飯能レースで作られたフォークダンスの衣装です。

☆以下に会場の様子や飯能レースの製品の一部をご紹介しました。ごらんくださいませ。(*写真はクリックすると大きくなります)

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by sechanco | 2012-08-19 11:05 | 地域に生きる

飯能情緒

a0082132_12332639.jpg奥武蔵の山ふところに抱かれるようにして、ちいさな飯能のまちがある。日あたりがよくて、人柄がおだやかで、水も空気もおいしい。

三島由紀夫の「美しい星」のモデルになった、町並みは旧く、歴史や文化の名残りをすみずみにとどめて、地味ななかにも風情がある町(まち)。

いまは、町おこしに頭を悩ます、いずこも同じ地方の町のひとつだけれど。いっときは、西川材の林業で栄え、裏絹の繊維産業で栄えた往時が偲ばれる裕福な佇まいが、まちにもひとにもいまだに漂う――。

若い人も、なぜか、ここを離れたがらない。東京に出るにしても、住まいはここに置きたがる。なぜか、ほっとする町なのである。ここ飯能は。住みば住むほど味が出て――住み心地のよい町。

胸を開くように、山ふところは南に開けて、山から下りてきた一本の清流が、ゆっくりと流れている。レッドアローに乗れば、40分で都内だ。始発だから、普通の電車でもゆっくり座って、文庫など読んでいるうちに都内についている。

山から登る朝日と、山にしずむ夕日が、ベランダから眺められる。

旧き良きの佇まいを残し、なんとも人柄の穏やかで、のんびりとした町。飯能。『いいのう、はんのう』をキャッチフレーズにしたいと思ってるぐらい(笑)、この町がすきです。

その飯能を紹介する、冊子が発行されました!
その名も、『飯能情緒』たくさんのひとに、手に取ってほしいです。
冊子作りをするのは、デザイン担当の黒田さん、文章担当の石井さん。
このお二人のセンスとこれまた人柄のよさに、惹かれてわたしも少しお手伝いさせてもらいました。

今回は、解体された(丁寧に手壊しされたようですね。ありがたいことです。)遠藤新作の旧平岡レース事務所棟の特集です。★こころの建築(*わたしの書かせてもらった文章はこちらに)

詩以外の、冊子に関わるのは始めてですが、学ぶことがいっぱいあり楽しかったし、勉強になった。これからも、おつきあいしたい人たちです。どうぞ、よろしく。

この町、飯能がみんな好きです。市や商店街や学校や住人や・・・いろんな人々が協力して仲良く、ひとびとが「住んで良かった」と言い。ひとびとに「来て良かった」と言われる。でも、がんばりすぎない、ほのぼのとした「飯能、いいなぁ」とつぶやかれる、良いまちになっていきますように♪

市の方からも、『市街地活性化計画』の案が出ているようです。たのしみです。飯能の良さを、飯能の人柄の良さを活かせて、町や皆が元気になっていきますように。

そして、まちにすむ、おとしよりもこどもも、みんなの、
えがおが、ふえますように♪

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by sechanco | 2011-11-22 13:52 | 地域に生きる

あったかい 建て物

a0082132_9105679.jpgなんとか保存をと願ってきたけれど。来月とうとう旧平岡レース事務所棟の解体が決まった(*解体したまま三年間は保管とのことですが・・・)。

昨日、それではせめて。きれいに拭いて・履いて・磨いてお別れしようと、お掃除隊が組まれ参加しました。

使い込まれた木肌が温かかった。材質はしっかりした物が使われているので、磨けば応えるように艶を増した。雑巾掛けしながら手の平で触れていくと、建物の床も扉も窓の桟も。すみずみまでこまやかに心が配られているのが感じられた。

二階の窓からは夏の緑に包まれた天覧山がぞんぶんに眺められた。飯能の景色が建物の借景としてみごとに活かされ。きちんと風向きも読まれていて。どこにいても、涼しい風が渡ってきてうっとりした。「なんていごごちのよい、建物だろう」「いるだけで、和むね」とみんなでほうっとため息をつきあった。知れば知るほど。線はすっと伸びているのに、触れるところは角がとれてまろやか。直と曲とのコンビネーションが実にあざやか。技有りと言うより、気配りの建築だと思った。見せるためではなく、住むための。外へのプライドのためではなく、内に住む人のための――。建築とは何かを深く問いかけ、深い答えを得るおもいがした。

せんじつ、ここで工場長を勤められた方のお話を聞く機会があった。当時の工場についてのさまざまなお話を聞かせてもらったあと。ところで、「住み心地はいかがでしたか?建物の」と帰り際に尋ねてみると、工場長だった方はしばし考えて、こう言われた。

あったかかった」――とひと言。「あったかい気持ちになる建物だったなあ」と。その言葉が印象に残りました。そして、それがすべてのような気持ちがしました。それこそが「第一に人間があります」という遠藤新の建築理念の骨頂だと。それがちゃんと工場長さんや従業員のかたがたにも伝わっていたのだと。あらたさんにもつたえたかったです。

遠藤新の建築は、「ひとがくらす=住宅」の理念ですべて建てられたことが特長だったようです。「あったかかった」このひと言が、ほんの少しですが今回はじめて、遠藤新の建物に触れることができた、わたしの宝(ご褒美)になりました。うれしいです。

なくなっても、忘れないでほしいです。

「あったかかった」住んだ者に、そんなひと言をぽろっと言わせる建築家がいたことを――

そんな建物がわが町にあったことを――。

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by sechanco | 2011-08-29 09:14 | 地域に生きる

桜市長

夢を見ました。
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覚めないといいなあ・・・

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by sechanco | 2011-05-09 09:17 | 地域に生きる

ローカリゼーションを推す

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先日ご紹介した、遠藤新作旧平岡レース事務所棟の向かいにある、こちらが倉庫棟である。

しっかりした厚い壁で作られ、湿度にも強く美術品の保存などにも適しているとのこと。たいへん魅力的な作りで「わが町美術館」のようなものが作れたら素敵だなあとおもう。飯能には、著名な絵描きさんや漫画家さん、陶芸家、和紙作家、書道家、草木染作家、鋳造作家、造形作家、あらゆる才能ある芸術作家や工芸作家がおおぜい住まわれている。その方たちの作品展示や、映写会などがここで行われたら、前にある遠藤新の事務所棟を含め、新しい図書館を中心にして、北海道のサッポロファクトリーの煉瓦街のような、一大「飯能文化タウン」になることだろう。

裏手には、三島由紀夫の「美しい星」のモデルにもなった「天覧山(羅漢山)」も控え、緑も多く駐車スペースもたっぷりある。ほんの少し、意識を変え、手を加えるだけで素晴らしい観光スポットになるだろう、宝の埋まった場所だ。飯能河原から市民会館・郷土館、アトムのいる中央公園から木立の奥の能仁寺、水辺がもどった谷津田を巡り、そしてこちら山手町(文化タウン)へと・・・。水あり、山あり、文化あり、そしてカフェや食堂などあれば、素晴らしい飯能散策観光コースができあがるのではないでしょうか。

このわが町の、ロケーションを生かし、「地域(ローカル)の味」を生かす。今や、時代は画一的(どこに行っても同じ)で大味なグローバリゼーションから、地域の特色・特産品や老若男女の地域に住まう人々が、今までたいせつに築き上げてきた暮らしや歴史をそのまま「売り」にできる、地域の人々が「ここでいま」生き生きとできる、「ローカリゼーション」へと新しく進路を変え始めている。取り壊し取り落として来た宝に、今時代は目覚めて来ています。その新しい波を見逃さないでほしいと、せつに願います。


倉庫には、もう取り壊しの足場は組まれ始めている。その屋根の向こうから心配そうに覗いているのは、やはり切り倒される予定の山桜の巨木である。

わがまちは、なにをころし、なにをいかそうとしているのだろうか。
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なにもころさない、すべてをいかす、みんながいきる――
ローカリゼーションを推す。
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by sechanco | 2011-04-27 12:43 | 地域に生きる

第一に人間があります

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「まづ地所を見る
地所が建築を教えて呉れる
いかに建築が許されるか
いかに生活が許されるか
そしていかに生活が展(の)びられるか
其をそこの自然から学ぶ。
其所に土も石も草も木もある
そこから建築がのびて来る。
其を逆の方から云う、自然から材料を貰う、
自然に合せて物をつくる。
そしてその作品をひっさげて人間諸共、
母なるまたは父なる
自然に帰る。」


まるで見事な詩のようなこの一文は、遠藤新がライト氏の弟子から建築家として一本立ちして、一年三ヶ月の後に彼の建築物の紹介とともに「婦人之友」に寄せた「はしがき」の一部です。

先日、4月17日の「旧平岡レース事務所棟」の見学撮影会はスリッパの数が足りずに、急遽「靴を良く拭いておあがりください!」と靴のまま見学してもらわざるを得ない程の多数の参加者にスタッフ一同うれしい悲鳴をあげました。遠くは新幹線で京都から駆けつけてくれた歴史建築の研究家の方もおいでになり、見学の間中「これは、すごい」「ううむ、すばらしい」と賛嘆の声をあげられ遠藤新がいかにその筋では著名な匠ありで、偉大な存在であるかを教えられ、思い知らされる日となりました。

見学会は、まずは旧平岡レースの取り壊しの始まった食堂棟から、遠藤新のお孫さんである遠藤現さんの説明がはじまりました。丁度はがされた天井から遠藤新の講堂建築の特異な構造である「三枚おろし」(詳しい事はmore以下に書こうと思います。)がよく見ることができました。はがされた・・・と書きましたが、今回の見学会は、食堂をはじめまだ壊されていない事務所棟をふくめ、この遠藤新建築の骨頂の「正しさ」の発見であり、そして、それはまた「奥ゆかしさ」という「隠された美」の発見につながるものでもありました。

『日本の建築は「新しい」という事許(ばか)り考えて「正しい」という事をおろそかにした。新人の意見の不徹底がそこに因する。何が正しいか立体建築が正しい。此迄の建築家は人の心を考慮に入れていない。心理の考慮なき建築は死人を容るるに適して生きたる心の住家とはならない。』配られた資料にある、新(あらた)の言葉どおりの、今まで眠っていた眼が覚めて行くような、「正しい」建築が目の前につぎつぎ現れてくるのでした。

しかし、素人目からすれば「正しい」を選択したゆえに、個性をどう売り込むかが、価値の基準となる現代においては、損なふうに時代の風が吹いたとしか思えないのが、ざんねんです。なぜならば建築家=アーティストと思い込んだ今の建築家なら、これみよがしに見せつけるであろう「三枚おろし」や「蕪束(かぶらづか、かぼちゃ束ともいわれる)」の遠藤新ならではの腕の「見せどころ」構造が、お宝がみんな「隠されている」のです。天井板ですっぽり隠してあるのですから。。

遠藤現さんの細かな解説や、旧建築の研究家の説明を受けなければ、うっかりなんでもなく通り過ぎたであろう、地味な建物の端々や隅々に、教わるたびに目からウロコの見事な意匠が施されているのである。

階段の板材には贅沢な松、どちらからの風も受け入れ自在に動く小窓、窓ガラスには細工の凝った三重層の枠木がはめこまれ、和室の柱は一本絞りの見事な杉材、上を見れば貴重な正目の桐の横木、襖は京唐紙に裏にはエキゾチックな象の文様・・・いちいちあげれば枚挙に暇がない。

そのような建築家垂涎の構造や意匠のかずかずが、しかしながら、いかんせん目立たない。遠藤新の最後の建築として、近代建築界の第一人者であるフランク・ロイド・ライト氏に「マイサン(わたしの息子)」と呼ばれるほど頼りにされ愛された、日本で唯一の愛弟子・遠藤新の遺作としてはあまりに地味なのはなぜなのか。

「第一に人間があります」と遠藤新は言う。「人間にはいろいろの要求があります。その要求の対象として建築が生まれます。即ち統一ある人格の生活の対象としての有機的な全一であります。」

ここは迎賓館でもなんでもない。旧平岡レース工場の事務所棟・食堂である。レース工場で働く普通の人びとが忙しく立ち働き、ときにほっとくつろぐ場所である。<わたしの仕事の場所ではない。あなたがたの仕事の場所である>・・・わたしにはそういう新(あらた)氏の声が聞こえるようだった。主人である普通の人びとの仕事や暮らしの邪魔にならないように、そして安全を保てるように、これほどまでに、建築家としての自己顕示の我欲を抑え、ほんとうの意味の「有機的建築」とは何か。<誰が大切にされるべきか。何が大切にされるべきか>──のほんとうを建築で見せてくれた人をわたしはこれまでに知らない。「これほどまでに、住む人の居心地を考えて…」と吐息をもらす見学者が幾人もいました。

これみよがしの奇抜な建築でアーティスト気取りになる前に、現代の建築家たちは、もういちど、良き仕事をする職人としての真摯な仕事の基本形を、新(あらた)氏に立ち返りみならうべきではないだろうか。そして、あきらかに創作的でアーティスティックな構造や意匠をあえて目立たないように、隠して仕上げたこの彼の仕事には、今わたしたちが忘れかけた「日本の美学、日本人の品格」をもかいま見ることができるのではないだろうか。「出すものではない。仕舞うものだ。」という「本物の」仕事人の声を、わたしはここに聞き取るのです。

「ここに私は建築家の職分は必要に向かって必然性を持った解決を与えるということを持説とするのであります」と彼は言う。「第一に人間を」思い、その人間の「生きたる心の住家」たらんとすることに向かった、その彼の信じる「必然性」が、今ここに壊されようとしているところです。。。無念でなりません。


そして、上の写真をごらんになってみなさんは、何かを感じられませんでしたでしょうか?
わたしはじつは、今回の見学会でいちばん最初にまわった食堂棟で、物静かな遠藤現さんの丁寧な説明を聞きながら、立って眺める建物の眺めに既視感となぜか強いショックにおそわれていました。そして、その理由にすぐ気づきました。この壊されかけた建物は、今テレビで毎日放映され続けている、今回地震や津波でひどい被害にあった東北の被災地の景色にそっくりだったからです。

そして、家に帰ってからたいへん、驚きました。当日、配られた資料のはじめにはこう書いてあったのです。

建築家・遠藤新 1889年(明治22年)に福島県相馬郡福田村にて生まれた──胸がどきどきしました。そして、インターネットで調べてみると、「相馬郡福田村」とは現在の「相馬郡新地町」のこと・・・みなさん。今回地震とひどい津波に遭い、駅舎は押し流され、遠いところに折れ曲がった電車が転がっている映像をごらんになりませんでしたでしょうか。

奇しくも、遠藤新の生地が震災で破壊された、同じこの時に、場所を隔てたこの地でも、彼の最後の建築が壊されようとしています。なんと皮肉なことでしょう。背筋に寒いものが走ります。むごくて、つらくて、ほんとうに、残念でなりません。
*こちらが遠藤新の出身地である、現在の新地町の映像です。

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by sechanco | 2011-04-20 11:48 | 地域に生きる

旧平岡レース事務所棟 4月17日見学・撮影会のお知らせ

a0082132_22415686.jpg飯能市には遠藤新(えんどうあらた)の遺作といわれる貴重な建物があります。

遠藤新は、帝国ホテルや、自由学園の校舎や明日館の設計で有名な、フランクロイド・ライト氏の日本での直弟子として有名です。ライトの弟子として、帝国ホテルの図面を描いたり、自由学園の明日館はライトと共作となっております。甲子園ホテルをはじめ彼の手になる数々の建築は、日本各地で国の重要文化財・有形文化財・景観重要建造物に指定され、大切に保存されています。

わが町、飯能市にもその遠藤新の「最後の作品」である、旧平岡レース事務所棟が残っております。旧平岡レースは、かつて繊維産業で栄えた飯能市の歴史の中で、重要な位置を占める企業でした。その栄華の名残り遺す、この建物は飯能の文化遺産でもあります。

ただ、今回は残念なことに新図書館建設にあたり、ひとびとに惜しまれながら、取り壊される運びとなりました。古き良き飯能の歴史と文化のシンボルがなくなってしまうことは残念なことです。

建物の概観はそんなに目を惹くものではなく、地味なものですが、その内部の作りは、多くの建築家の注目を集める、いろいろ凝った構造が網羅されているようです。

遠藤新の建築は『有機的建築』として特徴があり「有機的建築とは、周囲の環境との関連性から展開する生活と密着した、社会全体で考案される建築空間」とのこと。彼の建築に多数見られる設計方法の「三枚おろし」や、方形屋根を「蕪束(かぶらづか、かぼちゃ束ともいわれる)」の構造で支え、飯能の特産・西川材を主に使用されているそうです。

昭和25年・旧事務所棟は新工務所の先代・新八郎と、脇棟梁に飯能高校前にいた清水善、当時19歳の吉澤さんの主に3人で建築。1階から天井を貫く柱、座敷と椅子の視線の高さを近づけるため床から30センチ上に畳を敷いた和室など、匠たちの名仕事がご覧頂けると思います。*一部資料より引用あり。

一般公開されるのも、今回が最後になるかもしれないとのこと。できるだけ、多くの方にご覧頂き、貴重な建築をせめてカメラに残して頂ければと思います。

世界の建築家、フランク・ロイド・ライト。その直弟子の遠藤新による遺作・旧平岡レース事務所棟の見学・撮影会に、できるだけ多くの方が参加されることを願っています。

当日は、特別に、遠藤新さんのお孫さんである建築家・遠藤現(げん)さんが、建物についての詳しい解説もなさってくれる予定です。

飯能に残る『遠藤新建築』の保存を考える会 主催です。(私も、ほんのちょこっと、お手伝いさせて頂いてます。)

★地図は、「飯能市シルバー人材センター」でグーグルマップで出ています。「飯能第一小学校」の裏。

★こんな歴史のあるシックで重厚な建物で、室内楽の上品なコンサートや、陶芸・草木染・織物等たくさんの飯能でモノ造りする人たちの展覧会や、さまざまな文化人を招いての講演会、小説や詩などの朗読会など開催できたら素敵だろうなあ・・・
お年寄りと若者のように
旧いものと新しいものが――
もの言えぬものをもの言えるものが支えるように
建物と人びとが――
共に生かしあい、大切に思いあえる町になれたらいいなあ
と夢見て惜しむわたしも一市民です。。(^_^)。

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by sechanco | 2011-04-14 23:29 | 地域に生きる