晴れときどき 宮尾節子


宮尾のブログ talk to who?               
by sechanco
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春のひかり

a0082132_1057633.jpg文芸雑誌で、大きな賞をとった若い小説家のわだいの小説を読んでいる。が、読みかけては、たいくつになって、すぐ寝てしまう。なかなか、すすまない。非常にものごとが繊細に鮮明に書かれていて、ルーペで見るような細やかさに、かんしんするのだが、なんでかつまらない。授業中のようなたいくつがきて、すぐねむたくなる。

そんなにいっぱい、知りたくない。どうも、ものごとを知ることに、わたしはあまり興味がないようだ。

この小説は、なんだか非常に饒舌に丁寧にきめ細やかに書かれた「取扱説明書」に似ている。事に取りかかる前に、丁寧な説明を読んでいるうちに、めんどくさくなる。あの家電を買うとついてくる、取扱説明書だ。たいくつさは、そこからくるのかもしれない。

夢の中で、洗濯物をとりこんでもとりこんでも、窓の外には洗濯物がかかっている・・・そんなシーンはそうそう、トイレに行っても行ってもいきたい感じとよく似てると、かんしんする。いまのところ、ここがいちばん、よかった。

それから、むかし、昔々といったほうがいいぐらい昔だが、『太平洋ひとりぼっち』という映画があって。その何にびっくりしたかというと、Tシャツ何枚、パンツ何枚、ノコギリ何丁、カンナ何丁・・・・・・など細々としたぼうだいな装備品リストがえんえんと画面に出てくる。映画の何より、あのリストに感動して、みんなで洞窟探検などするときあのリストを真似たものだ。というより、あの装備品リストを書きたくて、よく冒険や探検をした。あの装備品リストを思い出したりもした。情感にたっするのだが、その波のまえの、粒が気になる。そんな感じ。

知りたいのではなく、感じたいのだ。じぶんは。そういうことをこの小説は、わたしに思い知らせてくれている。たくさんの名詞(舞台装置?)をおぼえるのが、どうも苦手だ。「やまかわそらうみ」でおおかたがすむ、いなかうまれのせいかもしれない。

ところで、日々のひとびとの営みや、こどもたちの遊び、暮らしまわりの什器の置かれかたやあつかう仕草などなどの日常描写を、やはり事細かに描いた小説なのに、ひとつぶももらさず、たんのうした小説がひとつある。

それは中勘助の『銀の匙』である。あれは、たいくつでも、めんどくさくも、ひとつもおもわなかった。ひとびとのくらしが、これほどいとおしく、芳醇で官能的なものであることを、情感たっぷりに、ことばのひとつぶひとつぶが、思い知らせてくれた。ことばも、ひとも、くらしも、まるで「ときじくのかぐのこのみ」とかいう、柑橘系のフルーツをいただいて味わうかのように、香り高くジューシーで美味しい。あれは、一冊の見事なできばえの叙情詩集だとおもう。juicy=叙情詩だとりかいするわたしには。

そういえば、いつか新聞である有名な受験校に、高校三年間の国語の授業時間をぜんぶ使って、中勘助の『銀の匙』一冊を読み解いて行く授業をする、名物教師がいるという話が出ていた。なんとぜいたくで、しあわせな学校だなあとうらやましかった。

春のひかりが、そこここに、見つかる。今日この頃。みなさま、どうぞ、よい週末を(^_^)/~
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by sechanco | 2011-02-26 10:45 | ミヤオ・リターンズ

きんざ ぎんざ 親愛なるアニタ

a0082132_12204040.jpgその本の写真を、たまたま某サイトで、見つけたとたん、ぴんときた。「あ」これは。どこかで「見た」と、電流のような既視感がはしった。その表紙の縦縞を。『エデン特急』ヒッピーと狂気の記録 マーク・ヴォネガット。現在は、絶版になっているとのこと。内容よりもその既視感に誘われて、ネットの中古で探し求めて、やっと手に入れた。中古なのに、ずいぶん、値段があがっていて驚いたが、なんとか、その中でも安めなのを探し当てた。

著者の父親はカート・ヴォネガット・ジュニアというアメリカの有名な社会風刺作家とのこと。アメリカの「中流上層階層」のインテリ家庭で育った「良心的反戦主義者」の若者が、「既成社会への参入をこばむ数人の」仲間とともに、カナダのブリティッシュ・コロンビアでヒッピー集落(エデンの園)をつくり、やがて、そこで狂気の体験をする。その暮らしの外面的にも内面的にも、表現的にも凄まじい、顛末が書かれている。

そして、だいたい、このような狂気(狂信)の発端は未熟な善意からはじまるものだが、この物語(といっていいかどうか、おおむね実録なのだが、分裂病になったときの記述が混ざり込んでいるので、不思議なフィクション性をかもしだしている)もその例にもれないようだ。

かれはいう。「ぼくの思うには、ぼくたちはたいてい、ぼくたちの受けた教育の大部分をつくりあげた合理性という焼き印に飽き飽きしていた。西欧合理主義は美しい地球をひどい混乱状態に陥れてしまったが、それ以上に、この形の合理性はうまい汁を吸っただけで見返りをくれなかった。」「ぼくたちは自分の合理的な頭脳のどこかに場所を明けて、ほかのあり方のための余裕を作りたいと望んだのだ。」「より少なく合理的であろうと合理的に決意することによって、ぼくたちは新しい、意味のある、すばらしい、有用な真理を発見することを望んだのだった」

その方法とは、いかなるものか。「民間療法、占星術、易、そのほか西欧合理主義が軽蔑するものは、ぼくたちに絶対的に信じるものというよりはむしろ修業の項目だった。ぼくたちは本能的衝動をますます信じるようになり、計画をますます信じなくなった。」「そこにはどこか気味の悪い部分があった。」

うっすらと不穏なものを感じ取りながらも、かれらは人里離れた不便きわまりないへんぴな場所に、血のにじむような努力で真摯に不慣れな仕事に取り組み、辛抱づよく日々を積み重ね、あこがれのエデン(農場と呼んだ)を築き始める。

しかし、その狭く閉じられた人間関係のなかに少しずつ狂気が混ざり込みはじめる。それはドラッグの影響にもよるのだろうが、正気と狂気が境をなくしてしまうような世界の記述のリアルさが圧倒的であり、息をのむ。

フィクションとノンフィクション(ガチ)の混ざり込むその「落ち合い」に跳ねる飛沫こそが、ポエジィ(詩情)の虹を立ち上げる場所なら、この本は随所で、はげしいしぶきのなかに、何本もの詩の虹をあげ続けている──美しい読み物だった。

しかし、作者は詩を書こうとはしていない。善意の人たらんとして、世界を救おうとしていた。

いみじくもかれが述懐しているように「より少なく合理的であろうと合理的に決意することによって」築かれた詩的建築(あるいは神秘的建築)のそのぬぐえない合理的基礎でしつらえた足場のもろさ(矛盾)によって、かれの精神的破綻は起きてしまったのだと、わたしはおもった。

合理的な文体をもって、詩という破綻の文体のユートピアに住み着こうとしたと言えるかも知れない。

けっきょくは、ひどい分裂症状とたたかう壮絶な生活がはじまる。文章もいったいなにが起こっているのかわからないことが、わかっていることを、つまり、これほど狂気の渦のなかにいることを、これほど正気に記述している、こんな不思議な文章をわたしは今までみたこともよんだこともない。

酔いをどれほど正気でかけるか。それは酔ってはいけない、正気でもいけない。しかし、どちらを捨ててもいけない。それは酔っていなければいけないし、正気でもなければいけない。そして過去にしてもいけない。なんというか、、三次元では書けっこない記述を、やってみせるアクロバットな「+n次元」というような、もう一次元の出現がかいまみえている。

たとえば、「茶は舌にあるか葉にあるか?」このような禅問答のような、問いかけが彼のなかで起こり続ける。一杯の紅茶からでも、三次元的日常では答え切れない様な、狂気であり、正気であり、哲学的であり、ナンセンスである、深遠で難解な質問がわきつづける。その質問が答えのありそうな「n次元」を、ふと、蜃気楼のようにかいまみせる。(*「茶の味」は、ということだろう)

分裂病の症状のなかで、本人は裸であばれまわり、警官に保護され、最終的には病院で監禁されるにいたるのだが、それらすべての現実的破綻を、しかし踊る様な文体が精確に捕らえ続けている。それがあっとうてきだ。全部覚えているのだ。そこには狂気と格闘する正気の文体がある。うーん、うまくいえないが、どちらをも取り逃がしていないのだ。

狂気と正気の境目が、見境がつかなくなるようなと書いたが、それだけではなく文学の表現と分裂病の症状との見境もだんだんつかなく、わたしはなっていった。読みながら。真剣に病と対峙するということは、真剣な文学を産み続ける、病の深さが、生の深さであり、文学の深さとなる、それぞれが分ちがたく絡まり合い混沌と渦巻く、神秘の淵におちこんだ気がした。それほど、かれは、記録すること、表現することをどこまでも、手放さないのだ。その手放さなさが圧倒的なのだった。

最終的には、病気が回復してハッピィエンドに終わる。1970年前後のヒッピームーブメントの目指した世界と分裂病の内面世界と、さらに「悟り」に関する仏教的な世界もときおりのぞき、非常に層の深い読み物となっている。しかし、最後はカエルの子はカエルと合理主義のさやに戻ってほっとする、「怪獣たちのいるところ」の絵本的な、神秘思想へのこりごり感があった。

そして、こころの底の、にっちもさっちもいかなくなった善意のなげき声ももれ聞こえる。「今まで、何が『善』であるかと考え、それを実行しようと努めることで、ぼくの人生の大半を費やしてしまった。そして、その過程が、あんなに次から次へと要求してくる容赦のないものでなかったら、それもよかったのだろうが。」「始め腕力を使えなくなった。最後にまきも割れなくなった。微生物を害することを恐れて、動くことも息することもしたくなかった」と、善たらんとする世界に脅迫的においつめられていく姿だ。

発病のときに精神科医に与えられていちばんよく効いた『クロールプロマヂン』という薬に対する彼の見解がおもしろい。「副作用もひどかったが、この薬の能書きはもっと気に入らなかった。それは人を鎮静させ、鈍感にし、ものごとに関心を持たず、おもしろみのない人間にすることになっている。医者や看護婦は一度もそんなことはいわなかったけれど、それはいわば反英雄薬だった。」「デイル(医師)は、『あなたは英雄になろうとしてはいけません』といい続けていた。」・・・反英雄薬ねえw。

その薬を飲むと、「なにもかもが退屈になった。正確にいうと、退屈ではない。退屈とはがまんできなさだから。」コミックブックやリーダーズダイジェストは読めるし、長々とおろか者と話もできるが、「天気はさえず、花はものうく、感動をうけるものはなにもない。」ムーザク、バッハ、ビートルズ、ローリングストーンズ、「どれを聞いてもちっとも変りがわからない。」「ドストエフスキーがコミックブックよりおもしろいことは知っていた、いやもっと正確には、ドストエフスキーのほうがおもしろかったことをおぼえていた」・・・・・・反詩人薬?


マーク・ヴォネガットの著作はこの本一冊のみだと、あとがきにある。「狂気を脱出してのち、関心を宗教学から医学にうつして」その後は、医学生になった。そして「もう本書ほどのストーリーは書けそうにない。医学生である今日、そうする必要のないことをむしろ喜んでいる」とのこと。

『エデン特急』マーク・ヴォネガット著/衣更着信・笠原嘉 訳(みすず書房)
1979年発行。・・・30年ほど前の本である。

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by sechanco | 2011-02-21 13:13 | ミヤオ・リターンズ

こがら先生

a0082132_11131667.jpg冬になると、冷たい川面に小さな水鳥が浮かぶのを、よく見かけます。その小ささは。上から見た目はちょうど。お風呂に浮かべるおもちゃのアヒルさんサイズ。川に浮かぶおもちゃのアヒルさん、という感じ。そんな可愛い手のひらサイズな水鳥なのに、子どもではなくて。りっぱなおとなだそう。かもの種類で、子ではなくて「小鴨(こがも)」だとのこと。

このおもちゃサイズで、なんとシベリアから渡ってくるとか・・・。かわいいとりの、かわいいですまない、きょり。そのはるかな旅路を思うと、感動します。2,3羽がなかよく寄り添い、もぐっちゃあ、うかび、してエサとりしていました。

ひさびさに、今月の「青空しんぶん」用のちび詩です。
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by sechanco | 2011-02-17 11:40 | ミヤオ・リターンズ

カカ男へ

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                                          ちよ子。

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by sechanco | 2011-02-14 20:08 | ミヤオ・リターンズ

詩族 Ⅲ 誰に咲いているのだろう

a0082132_1295295.jpgなぜ。とおもった。なぜ、『精神障害と文字の対話 第1集』なのか。この本は。お昼時に、入った食堂の本棚で、手に取って、ひどく胸を突かれた。草の葉にのった露玉のようにぴかっと光った。あるいは寒い朝に土に降りた霜の、砂糖菓子のような甘やかな煌めきがあった。その並んだ短いことばたちには。わたしは、こころうばわれ、一心に読みふけった。短いコトバのひとつびとつに、心がふるえた。

そのとき。たった2メートル半ぐらいの距離を、サハラ砂漠を旅するヒトのように、決意をにじませたはるかなる面差しで、トレイに載せた一杯のコップの水を宝物のようにていねいに運んでくれるウエイトレスの女の子が、おぼつかない足取りでぶじ、わたしの目の前に到着した。──コップの水がありがたいものに思えた。精神障害者自立支援の場として開かれている、そこは食堂だった。

これらの、ことばは、詩である。『精神障害と文字の対話 第1集』・・・このシリーズがどのような世界に向けて発信され、どのような展開を望まれ、どのような必然性をもって、冠されたタイトルなのか、わたしは知らない。わからない。でも、これは、『詩集』である。それも、優れた詩集だとおもう。このような、切実で危うい場所で、詩の言葉はわき続けていたのだ。


ここに改めて、精神障害という言葉を外して、その本から抜粋した
『片桐丈晴』というすぐれた感受性を持つすぐれた詩人の小詩集を編んでみます。


<片桐丈晴 小詩集>

☆職場のノリちゃん

 うずらの卵の様な顔で
 いつもニコニコ笑っている彼女
 かわいいから髪を撫でてみた
 その笑顔はボランティアじゃないよね

★かけ声

 多忙な生活のさなかに
 地球儀を回しながら

 さあいくぞ

☆骸骨の標本

 妙に静かな特別教室で
 窓の外に向いている節穴が
 どこか痛々しくて心を離れず

★月夜はハーモニカ

 ばらばらな音階で
 でたらめな拍子で
 心が空に震えている月夜

☆自分本位

 自由に動ける人形を造ったら
 人形が逆らったので壊した

★十一月に君と

 その日は一緒でした

 山の上の喫茶店で
 たくさんの葉は彩り風に舞い

 日の光が
 雲間から葉を照らした

 それは美しく
 心へ焼きついています

☆分身

 三面鏡の前に立って映ると
 自分自身はバラバラになる
 何人も映る自分が別人の目をして
 一人でこっちを見ている

★死

 気配を殺して
 死は常に近くで待っている
 死を殺す者が生まれるなら
 死は死を恐れるか

☆くらし

 まるで波が消した足跡です
 仲直りしました
 いつもと変わらない食卓に
 おかずが並ぶ

★おもいやり

 誰とも話せないけれど
 安心して下さい
 寒い冬に咲ける
 シクラメンです

☆恋心

 心配して欲しくて甘える
 甘えたくて心配させる
 安心できると
 心は正直な嘘をつく

★動きだそう

 日陰で見える川底
 日向で反射する川面
 水は絶えず流れている
 立ち止まった人間のかたわらに

☆肢体

 この木から
 切断した枝は手足です
 痛いのだろうか
 口を持たないだけです

★ひらひら

 空が青いと
 幸せが降りてくるのか
 庭の芝生に蝶がとまっている
 黄色い羽をして

☆ミカン

 外で朝日に向かい
 光を暖かく感じた春
 太陽を絵で描くなら
 ミカンと同じ色にしよう

★繊細

 誰に咲いているのだろう
 花は美しい魔法を持っている
 踏まれたら折れてしまう
 細い体で遠慮がちな命

☆烙印

 重たい毎日が
 欠陥品を制止する
 検査の針は冷たい真実を指し示し
 慣れていくのか

★誰がために咲く

 太陽と雨と土に育まれて
 季節ごとに違う花は咲き
 花を美しいと感じる者にだけ
 花は美しく咲ける

☆草むらの哀歌

 カッパと約束をしている
 明日は草むらで雨を待とうと
 どうせ来ないと分かっているのに
 雨がカッパが明日が来ない

★好きな人へ

 いつまでもずっと
 疑問は解かないでいよう
 心を操っているのが誰かと
 騙されていよう

☆町の夜景

 遠い山並を覆う黒い空に
 月と星を連れて歩く夜道
 オバケが働く町の脳改良工場は
 煙突から複雑な煤煙を吐く

★地上

 黒い宇宙の片隅に浮かんでいると
 地球よ寂しくはないか
 蜃気楼が砂浜で
 八月五日に冷えた紅茶を求める

☆ごみ箱

 大概どこでも隅に置かれている箱
 イラナイが集まっていく箱
 泣き顔と笑顔と寝顔も
 箱には入れていかないだろう

★ATM

 規則正しい機械が話す音声は
 語学教材と同じ様な台詞(せりふ)を言う
 銀行からお金を下ろすと
 彼女にちょっぴり硬い雨粒がかかった

★店

 出入り口のマットは緑色で
 いつまでも枯れない春の野原です
 いらっしゃいませ
 ただ踏まれて独り言の挨拶をした

☆地球旅行客

 地球に来て太陽の光が眩しいと感じ
 地球の時計を見せてもらえました
 他の星から来て楽しかったです
 水をちょっと頂いてから帰ります


むねがふるえる。こころの生理にことばが触れてくる・・・といえば、いいのだろうか。「その笑顔はボランティアじゃないよね」と、たしかめる(つきつける‥)ことば。地球儀を回しながら、「さあ いくぞ」とかけるかけ声の遠さと近さ。ああ、ほんとうだ、そのとおりだと、なきだしたくなった。『自分本位』の「自由に動ける人形を造ったら/人形が逆らったので壊した」のは、わたしたちではないのか。わたしたち社会が自分本位に人形を造り、そして逆らえば、壊しているのではないか。人形ではなく、人間を。

「その日は一緒でした」このとつぜんな書き出しが詩だ。(君と)一緒のよろこびがとびだしてくる。「まるで波が消した足跡です/仲直りしました」「おかずが並ぶ」みごとな描写力で「くらし」の修正されるあり様が描かれている。今は・・・「誰とも話せないけれど/安心してください」というおもいやり。「水は絶えず流れている/立ち止まった人間のかたわらで」という自分の速度と世間の速度のながめ。「痛いのだろうか/口を持たないだけです」という手足を切断された木のきっぱりとした抗議。

「空が青いと/幸せは降りてくるのか」という舞い降りてきた黄色い蝶へのうれしいおどろき。「ミカンと同じ色にしよう」という太陽の掴み方。「誰に咲いているのだろう」という花へのはじめての、まっすぐな問いかけ。


「重たい毎日が/欠陥品を制止する」検査の冷たい針が示す「冷たい真実」。その「烙印」に「慣れていくのか」という・・・工場の流れ作業になぞらえた、存在の認識。そのものすごい存在の重さと扱われ方の寒さに、わたしは、ことばのまえで、凍りついた。

「花を美しいと感じる者にだけ/花は美しく咲ける」そのしずかな、真実の吐露。「どうせ来ないと分かっているのに/雨がカッパが明日が来ない」たたみかけられるフレーズに、来ないカッパに・・・わたしは泣いてしまった。

好きな人への「いつまでもずっと/疑問は解かないでいよう」とのみこむやさしさ。「オバケが働く町の脳改良工場」の吐くおそろしげな煤煙。「黒い宇宙の片隅に浮かんでいると/ 地球よ寂しくはないか」と蜃気楼が冷えた紅茶を求める八月五日の砂浜の、うつくしい詩。「隅に置かれて」「イラナイが集まっていく」ごみ箱。

「お金を下ろすと」「ちょっぴり硬い雨粒がかかった」ATMの機械の彼女の肩。「いらっしゃいませ」「ただ踏まれて独り言の挨拶を」くりかえす、店の入り口の野原色のマット。


さて。

「地球の時計を見せてもらえました」と王子はていねいにお別れのご挨拶して「水をちょっと頂いてから帰ります」・・・帰るのです。詩族の王子は。おうじのうまれた、詩の星へ――。

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心に麻酔を

生きる意味を生きる事で
生きている自分


                       ――――片桐丈晴・帯裏の詩より


こころが、あらわれるような、すばらしい詩集でした。

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by sechanco | 2011-02-11 13:55 | ミヤオ・リターンズ

熊を着たい

a0082132_11103499.jpg新編集版の原稿を、きのう発送できて、ほっとしているところです。

春の花が咲く頃には、本になって咲いてくれているだろう。まいかい、思うが。詩は、ライブに似ている。触れるたびに、違ってくる。校正しているときですら、そうだ。ゼッタイ再演できない、一回性のなにものかを孕んでいる。毎回、ゼロからはじまる畏れとおののきを踏まねばならない。

だから、今回も初出の発表時とはずいぶんアレンジされてしまったと、おもう。メルマガを取ってくださった方は、その変貌ぶりをも、おたのしみいただけるかもしれません。

再演できない・・・で思い出すのは、子どもの頃。暗くなるまで外で遊んでいて(缶蹴りや、はち合戦ドン、田んぼのドッジボールなど)、仲間と盛り上がって、だれもヤメよう、もう帰ろうとは言わない。それでも、誰かの親が「もう、晩ご飯だよ」と叱りながら迎えにきて、ついにお開きになるとき。

「あしたも、あそぼう」「うん、あそぼう」・・・と言い合って、ちりぢりに帰っていくときの、あのモノガナシさ。あのモノガナシさの正体は、

同じメンバーで同じ場所で同じ遊びをしても、明日には「何かが違って」しまってる、物哀しさだ。「あれ?、もうひとり居なかったっけ?」というような・・・物足りなさ(とつまらなさ)が、きっと明日にはある。再現不可能な今日に別れを告げる、あれは、モノガナシさだ。

子どもの頃は、今日を生きていた。明日なんかいらない、終わらない今日が欲しいのだ。詩を書くたびに、それを思う。今日を書いているのだ、きっと。書き始めた詩を、途中でやめるとき──

「あしたも、かこう」「うん、かこう」・・・とじぶんに、約束しても。詩には、ほんとは明日なんかいらない。

暗い夜明け前に起きて、だんだん明るくなる朝に向かって、書くのがすきだから、からだが冷える。うえから、したまで、ヒートテックのお世話になり、もこもこの上着をつけて、まるでエスキモーのような格好で机に向かっている。来たり脱いだりの上下のパーツが多すぎて、結構めんどうだ。いっそ、

熊を着たほうが、早い」と文句を言ったら、家族にわらわれた。一枚で済む「熊の着ぐるみ」をネットで探してみようかと、さんぶんのいち本気で考えている。クロネコさんが来たときはびっくりするだろうね。こちらが、クマでは。でも、立春もすぎたし、そろそろ、あたたかくなってきました。なんとか越冬できたようです。

しかし、「詩を書く熊」もわるくないかも。


*後日追記:一回性について、少しネットで調べていたら、非常に興味深い論考に出合った。秀嶋賢人という(監督さんでもあるのかな?)の文章(あるいは講演記録)です。ワタクシ的には、詩とつながるところがいっぱいあって、わくわくしました。★こちらです。

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by sechanco | 2011-02-06 09:12 | ミヤオ・リターンズ