晴れときどき 宮尾節子


宮尾のブログ talk to who?               
by sechanco
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ほんとうに、哀しいのです

ほんとうに、哀しいのです。

こんな目に、あったのに
なぜ、変わらない。
なぜ、変われない。
自分の心や、自分の国が
ほんとうに、哀しいのです。

どうしてだか、は
人の心のおくの事情や
国の心のおくの事情には
込み入ったものがあるのでしょう。
計り知れないものがあるのでしょう。
止むに止まれぬものがあるのでしょう。
きっと、そうにちがいない。

人だって、国だって、
良くなりたい、良くしたいと
思わぬわけがありません。
はじめは、良かれと思ってやったことだと
それを、わたしは信じています。
わたしが、わたしを信じるように
それを、わたしは疑うことができない。

ところが、良くなかった。
むしろ、ひどいことだった。

なにが、哀しいといって
良かれと思ってやったことが
良くなかった。
良くなかったと、わかったけれど
止めることができない。

その暴走のサガが哀しい。
良かれと思って、やりました。
でも、それは良くなかった。
良くないどころか、ひどいことでした。

「では、やめましょう」と
なぜ、言えない。
「では、やめました」が
なぜ、出来ない。

国のサガは、しかし人のサガだ。
しょせん、人は変われないか。
 なら、国も変わらない。
あきらめるしかないか。
 なら、あきらめるしかない。

国とは誰か。
国とは人のことである。

人とは誰か。
人とは私のことである。

私は変われないか。
なら、国も変われない。

私は変われないか。
 私は変われないか。
私は、なぜ変われないか。
 なぜ、私は変われないか。

変われると、なぜ言えないか。
──私とは誰か。
私とはこの私のことである。

ほんとうに、哀しいのです。
止めるほうがいいと、わかっている。
わかっていて、できない。

じぶんでじぶんをどうすることもできない。
自分に負けつづけるこの闘いが

この国とこの私が
ほんとうに、ほんとうに
哀しいのです。

私は、私が哀しい。
私は、私の国が哀しい。

                   ──私の国 宮尾節子

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by sechanco | 2012-03-29 11:40 | 日々

ニーチェの馬

a0082132_10523031.pngネットに動画で紹介された映像と音楽、そして言葉があまりにも衝撃的だったので。

ハンガリーの鬼才(らしい)タル・ベーラ監督の『ニーチェの馬』を、渋谷のイメージフォーラムで観て来た。

──濃い霧の中を、苦しげに首を振り振り荷車を引く馬と、その後ろで鞭を持った男。画面につきまとうのは、低くて鈍い(オルガンだろうか)うーんうーんと唸る様な音楽と、びゅうびゅう吹き荒れやむことのない風の音。

そして、予告編の字幕にあった言葉──『夜にはいつか終わりが来る』これだ!と思って戦慄した。これが、詩だと。『明けない夜はない』これじゃない。

『明けない夜はない』は夜が厭われている。
『夜にはいつか終わりが来る』は夜もまた悼まれている。
そこには、夜の残したわずかな温もりがみえる。灰の中のあかい埋め火のように。獰猛な獣たちが身を屈めてみずからの温もりでみずからを暖める夜の閨(ねや)──その獣めいた夜の温もりを惜しまずに明けるものは、詩ではない。──そのように私には思えた。

1889年トリノ。ニーチェは鞭打たれ疲弊した馬車馬を見つけると、駆け寄り馬の首に抱きついて涙を流し、卒倒した。そのまま精神は崩壊し、二度と正気に戻ることはなかった──という。

どこかの田舎の古い家。疲れ果てた馬と、飼い主の農夫と、その娘。暴風が吹き荒れる6日間の物語。』旧約聖書の創世記で、神がこの世界を創造したという『6日間を遡行しています』とタルベーラ監督は、この映画について語っている。

濃い霧の中に隠れて見えない(消えてしまった?)世界から、馬に乗った男の黒いシルエットが現れるところから映画ははじまる。『遡行』していると監督のいうように、世界の終わったところから、人と馬が現れ、その馬が疲れて動けなくなり、人々の暮らしが止まり、灯火が消え、光がなくなり、世界の始まりという終わりに向かって映画は閉じられる。──火がなくなり、茹でられなくなった生(なま)のじゃがいもをかじる、「がりっ」という音が耳に刺さった。それは食物の始まりの音でありながら、世界の終わりの音でもあるような、不穏な音だった。

確かに、明りが消え、火が消え、文明が消え、食物は、生(なま)のものになる──途中で、フィルムを逆回しに見せられているような錯覚に陥った。まさに、現在わたしたちが向かっている世界を見せつけ、われわれの愚かさが暴かれ、裁かれているようだ。

だがもうひとつ、わたしの心を惹き付けたのは、終わりと始まりの風景が似ていること。対極なはずの景色の相似だった。終わりと始まりは似た者同士──絶望すなわち希望。希望すなわち絶望。その暗転と好転(はおかしいが)。その可逆性を、この映画は表し得ていたと思う。それは監督のねらったことではないかも知れない。けれど、未熟な希望が絶望を生むように、完璧な絶望は希望を発生させる場所にとって変わるのではないだろうか。飛行機の墜落現場ではなく、そこは飛行機の発着場所・エアポートになるのでは──などと画面の「美しい退屈」が、こちらの「意識に変容」を起こし始める不思議と出合うような映画だった。

その意識の変容のせいか──装飾を剝ぎ取った極貧の生活は、しかし僧侶の暮らしのように厳かな格調を獲得し、これ以上ないほどの貧しさは、これ以上削ぎ落せない場所で、見事に美へと転調をしてみせるのだ。

3.11を経験した日本の心にも、深くひびく作品だったとおもう。
終わりの風景ではなく、始まりの風景と捉えることで、絶望から希望への転換が起こるかもしれない。



朝起きて、着替えをし、馬を出して、仕事に行く。帰ってきて、馬小屋に馬を入れ、食事をして、眠る。(男・父親)朝起きて、火を起こし、食事をつくる。井戸の水を汲み、馬に餌をやり、男の世話をし、食事をして、眠る。(女・娘)──えんえんとその単調な繰り返しの映像。

しかし、それは、とくべつなものではなく、じつは田舎でよく見かける普通の暮らしだ。普通の農家の営みである。

ただ、ひとびとの無駄口や、いっさいの装飾物は取り外されていて、かまどに、食卓に、寝台。そして、舞台のように変わらぬ景色のなかでの、単調な暮らしは、一見貧しく救いのなさを見せるが、その貧しさを洗練と読み替えると、映画はいっきに能の舞台のように格調高いものに変容する。うーん、うーん唸り続ける音楽も、背後の唄い手たちの地唄のようであるし、窓を向いたまま静止する父娘の姿も、能の舞い手の静止に似て見える。

映画館を出た後。
能の舞台を観た後のような、退屈だけれど、なんとも言えない充足感と清涼感を身のうちに覚えた。

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by sechanco | 2012-03-13 11:36 | 日々

ブンミおじさんの森

a0082132_12134649.jpgメモ代わりにツイッターでつぶやく癖が最近身について、なかなかブログの更新ができなくなった。
いくつか、残しておきたいものをここに少し手を入れて、転載します。

まずは、二月に観たタイの映画の感想から。


***

昨日、吉祥寺で観た。タイの映画。アピチャッポン・ウィーラセクタン監督の『ブンミおじさんの森』が素晴らしくよかった。みもこころもすべてをあずけ──「包まれる」とは、ああこのことかと思った。その心地よさの余韻がまだ醒めない。

まずは音響だ。ノートをめくるときの音。ペンを置くときのたぶんするわけのない音が、丁寧に細やかに、言葉のようになぞられていく。プラスチックの容器を5回広げたとしたら、その5回分の5つの音がきちんと拾われていく。細やかなひとつひとつのひとの所作には、「そうだ音があったんだ」と思い出され。そのなんでもない音に、精霊の声を聞くように、ふしぎに癒されるのだ。

ノートを開く音も、外の虫の声も、滝や川の水の音も、人工も自然も、なぜあんなに「均質に」拾えるのだろう。そして、ひとびとの交わす話し声もまた、いいのだ。その声は、皆で囲炉裡を囲んで、その囲炉裡の灰の中で、あかあかと燃えぱちぱちと弱く爆ぜる、熾き火のようにあたたかくやさしい。穏やかで、滋味にあふれている。

なぜこんなに癒されるのだろうか。たぶん、すべての肌理(きめ)が揃っているからだろう。人工と自然、生と死、邪と聖、光と闇、善と悪・・・そんな対立するはずの二つ(の世界)が、対立しない。たぶん、肌理を揃えたおかげで、段差が(というとおかしいか、溝というのかな)取れている。そして、自由に往来が可能な場所。あの世とこの世をつなぐ「その世」を出現せしめているように、みえた。

そして彼らは、驚かない。「おまえ、ずいぶん毛が長くなったな」(猿の精霊になった弟に)「おまえは、若いなあ(若くていいなあ)」(若くして亡くなった妻の幽霊に)。「すこし、明りを落とそうか」(まぶしがる、精霊を思いやって)。「また訪ねてくるよ」(自分が死ぬのを悲しがる友人に)。異界のものを、普段のことばに、すらっと変換する。異界をごく普通に、迎え入れる、その日常の豊かさ。

私たちが創作によって出現させる。あの世のものとこの世のものとをつなぐ場所。それがたぶん「その世」と呼ばれる空間ではないだろうか。「美しいその世」が見事に自然に、いや「普通に」描かれていたと思う。そこには、今までの映画で見たことのない、文体(といってしまうが)があった。見たことがないのに、よく知ってたような。ごく普通なのに、涙がでるほどやさしく、あたたかく、なつかしい世界が──そこにあった。

こんなに穏やかなのに、ほんとに、次何が出てくるか、次はどうなるのか、全く想像できない。ドキドキとワクワクがいっぱいあり、なのに、ほっこりとにっこりがたっぷりある。『ブンミおじさんの森』不思議で、すてきな映画でした。

しばらく、不思議な高揚感にぼうっとして、熱帯のジャングルを歩くように、吉祥寺の街を歩いていました。

『帰りたい』……そんな、あたたかくて、なきたいきもちで、みたされて。

★こちらに、DVDも販売されているようです。

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by sechanco | 2012-03-09 13:21 | 日々