晴れときどき 宮尾節子


宮尾のブログ talk to who?               
by sechanco
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
★新刊のお知らせ★
◎<新刊詩集のご案内>

☆『宮尾節子アンソロジー 明日戦争がはじまる』(集英社インターナショナル)

☆『明日戦争がはじまる』(思潮社オンデマンド)



◎『恋文病』¥1800+税
『読んだ人をちょっと大丈夫にしてくれる魔法がありました』──詩集の感想(Uさんより)
→☆ご注文はこちらクリック!から☆

★電話やFAXでの注文もできます。
・精巧堂印刷所
・電話 0187-62-2340
・FAX 0187-63-1583
☆宮尾の詩集は秋田買い♪よろしく!

☆花のように(動画)
☆アルハルクラすべてを
──*詩集より朗読。


★旧刊についてのお問い合わせはこちらに★

★既刊詩集
☆ドストエフスキーの青空¥1800
☆妖精戦争
↑¥2000(残部僅少)
☆かぐや姫の開封(残部僅少)
↑¥2800
☆くじらの日(完売)
↑¥1000
*詩集は、詩集名を記入して★こちらへご注文くださいませ。★

★メールはこちら→sechancono☆gmail.com(☆を@に変えてくださいませ。)
★な
ライフログ
ブログパーツ
※この時計の時刻は、閲覧しているパソコンのものであり、必ずしも正確な時間とは限りません
カテゴリ
以前の記事
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 09月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
最新のコメント
Nariさん あり..
by sechanco at 04:38
inoriさま 詩..
by sechanco at 04:37
初めまして、こんにちは。..
by inori-ori at 15:17
naokoさま。 ..
by sechanco at 20:29
はじめまして。詩に心を動..
by Mousy at 16:09
ありがとうございます!う..
by sechanco at 10:40
今まではただ通り過ぎるだ..
by 風の里農場 at 21:41
おはようございます。はい..
by sechanco at 07:52
おはようございます。まち..
by 風の里農場 at 07:12
ひらがなで書いて、気がつ..
by sechanco at 10:33
フォロー中のブログ
検索
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

<   2013年 09月 ( 4 )   > この月の画像一覧


ちいさい秋の ちいさい詩集

あえました
a0082132_844538.jpg
再会

駅で待ち合わせした。

そっくりの笑顔が改札前で、手を振ってくれたとき。
なあんだ居るじゃないと、泣き笑いした。

こうして、みんな繋がって行くんだね、
いのちって、バトンのように。

「久しぶり」と肩を抱くと、驚くほど暖かかった。
わたしの腕のなかで、

「久しぶり」と応えてくれた、彼女の──
娘の、からだは。

一緒に並んであるく
コンコースには夏の陽射しがあふれ

(おかえり、)
(ただいま。)

こうして、みんな繋がっていくんだね。
いのちって、バトンのように。


らすとぽえむ
a0082132_851371.jpg
インナ・ボトル、オンザ・シー

決めています。
最後の詩集は、海に流します
ラストポエム・インナ・ボトル。

詩を書きます。
一篇、一篇、瓶に詰めます。
一本、一本、太平洋に流します。
わたしは、十歳の時に
はじめて、詩を書きました。
「波」という詩を、
海を眺めているときに(太平洋だ)、波に乗って
海の向こうから、やって来た詩だ
「海を見て、思った
 波を見て、考えた
 波はどうして、できるかを」

眼の前の波を、言葉でつかまえて、
詩にして、送ったら(小学館の「小学四年生」に)
「遠い遠い向こうの国のひとが
 海に小さな石を投げた──
 そのとき小さな波の子が生まれた」(たしか、そんな詩)

特選になって、活字になって、万年筆をもらったの
それが、デビューだ、詩を書くことの

海から来たから、海に戻ります
最後の詩集は、海に載せます
ラストポエム・オンザ・シー。

月夜の晩にはゆらゆらと(言葉が浮いて)、嵐の日には
ばらばらに、なって(望むところだ)
どこにつくのだろう(海の底だって、構やしない)
いつの日か、だれか、拾ったら
読んで下さい(お魚さんでも)。最後の詩集です。
「読んでくださって、ありがとう」と書こう
きれいな瓶がほしい。
そして、よい波と
ただいま。


More
[PR]

by sechanco | 2013-09-24 08:34 | 日々

あきらしく

a0082132_7483045.jpg
炎暑も過ぎて。朝夕はカーディガンと
「さむい」と言う言葉が必要になってきました。

風は心地よく、陽は輝かしく、空は高くなって、秋らしくなってきました。

この地は、たっぷり自然があるので、窓を開けるだけで、
季節の景色の、盛り合わせが
ごちそうのように、目の前に、運ばれてきます。

ときには、野焼きの煙や、花の香り、雨の音、心地よい風まで、入れて。

『風立ちぬ』を観ました。よい映画でした。

躰の細胞にまで細かく、分け入って行くと、存在が消えてしまうように。
宇宙に向かって、飛び出して行くと、存在が消えてしまうように。

わたしたち、存在には、敵も味方も、ない。
ひとときの、命の、明滅、なのだ。

生きる、ことは、なにか。
ひとつの、
官能、なのだ。

「うし」「うしはすきだ」
「きて」「いきて」
簡潔で、深い、セリフが、こころにのこりました。

ことばで、はない。
ことばの、むこうのものが、えがかれている、と思いました。

More
[PR]

by sechanco | 2013-09-21 08:24 | 日々

はじめの一歩

a0082132_14394019.jpg
3月から始まった飯能市生涯教育科主催の文芸入門講座『はじめの一歩』。文章・短歌・川柳・俳句・詩についての講座を、『文藝飯能』のそれぞれの選者が講師を担当しました。一週目は講義、二週目は実践という各科目二回セットの講座。
a0082132_1015659.jpg

わたしは7月に、最後の詩の講座を担当しました。この講座の受講者のターゲットは定年退職後の一般の方。ちょうど、これの前に同様の大妻女子大での講座があったので、女子大生と定年退職後の一般人。どんなふうに重なる部分、違う部分を作っていけばいいかを、考えるのが楽しかったです。

『森林文化都市』は飯能市のキャッチフレーズです。その文化面ということで、飯能に足跡(そくせき)を残した文学者に触れるところから、話を始めました。飯能を代表する詩人として「蔵原伸二郎」さんはじめ「千家元麿」さん、金子光晴さんの足跡もありますと。特に初回の講座では、飯能と詩との繋がりのおおもとの存在、蔵原伸二郎の代表的な詩や、蔵原に師事していまや蔵原伸二郎の研究者としても最もよく知られる、詩人・町田多加次さんの詩をいくつか紹介しました。

*町田多加次(広小路に住んでおられます)
飯能の詩人といえば蔵原伸二郎ですが、彼の有名な詩集「岩魚」も、実は町田さんのたちあげたいわば自家製出版社から出ています。蔵原伸二郎の弟子としても研究者としても名高い人です。でも、町田多可次なくして蔵原なし。飯能の詩壇なしだとわたしは思っています。高校時代から「蛍雪時代」という学習雑誌に投稿し常に特選を取り、注目され将来を期待された若き詩人でしたが、いろいろとお家の事情等重なり、ある時期から、自らの詩作からは身を引き、蔵原の詩業を語り伝えること、飯能に新しい詩を詩人を育てることに、骨身を削って尽されています。そして、「現代詩研究会 岩魚」では毎月、非常に質の高い講座や詩を学ぶ人たちへの指導をしておられます。そして、そのグループの中からは「埼玉文学賞」を取られた高橋紀子さんも出ています。ご自身も昨年11月その質の高い文化的なお仕事に対して,埼玉県から「埼玉文化賞」が贈られています。

詩人も多くそうですが。自分の事しか考えない、考えられない表現者が多い中で。飯能人はひとあじ違います。もうひとまわり、大きい文化を育てる懐を、器をこころのなかに持っていると感じます。詩人以外でも、たくさんの文化人が、飯能とゆかりがあります。それは、かれらを、うけいれ、たすける、度量があったからです。じぶんではなく、ひとを。という、美しい文化が飯能にはそっと息づいています。飯能の文化の、飯能人の底力というのは、その懐のおおきさ、ふかさ、あたたかさ、ではないでしょうか。蔵原を支えた飯能の地、そしてその蔵原を支え、飯能の詩の土壌を支えた町田さんの存在は、たいへん大きいです。
 なにかで拝見した、高校時代に書いたという恋の詩がよくて、お借りしにいったのですが、お話しているうちに、コピーを忘れてきてしまい、詩集の中からふたつ選びました。*「小さな葬列」「町田多可次詩集」は図書館で読めますので是非。

 まずは、蔵原の詩からご紹介しましょう。きつねの詩人と呼ばれるぐらい、たくさんの狐の詩を書いています。
a0082132_17535929.jpg


a0082132_18112886.jpg
(*町田多加次さんが正しいお名前です。失礼を致しました。)

どちらの詩も、景色をカチッと捉えて、情もぐっと抑えこまれ、余韻が広がる、硬質で美しい詩です。町田さんのお話によると「蔵原さんの口癖は『削れ、削れ』だった」(詩作について)とのこと。その薫陶を受けた、町田さんの詩も素晴らしいです。いくつか二人の詩を読み比べていると。蔵原詩がぎりぎりまで叙情を、削ぎ落していくクールな男詩だとすれば。同様に簡潔美を受け継ぎながらも、町田詩はそこを踏み切れず、そっと踏み残す慈愛のような温かみが加味されて、見えます。そこに、師として支えられた人と、弟子として支えた人の姿や人柄を垣間みるような思いが、わたしにはします──。

何をしてるのですか?と問われて「詩を書いています」と答えると、相手の方は、ふっと遠くを見る様な目をされる、視線が泳いで、話の接ぎ穂を失う…そんな、場面に何度もあってきましたので、リアクションには驚きませんが(笑)。あまり人前には、出てはいけない、日陰者のような存在が詩人のようにも思います。世間では、生き辛い、生かせてもらい辛い、、なのに、なぜか飯能は、そんな詩人が住み易い町、生かせてもらい易い町、なのかも知れません。なぜでしょう。疎開してきて一時的な逗留のはずの蔵原がけっきょくは居着いてしまい、終の住処となった飯能とは、どんなところなのでしょうか。

その理由を探しにというわけでは、ありませんが。今回の講座の参考資料をあたりに、出来上がったばかりの「新図書館」に出かけた時。ちょうど「飯能文化」という古い飯能の文芸誌の展示がありました。そこの展示を拝見していて、飯能人の懐の深さ、意識の高さに再び、感動する思いを抱きました。この文芸誌は、なんと戦後すぐの混乱・困窮期に発行されたとのこと。その巻頭言にまず、胸を打たれました。そこに、こんな一文を発見したからです。

「終戦後の窮乏は戦時中よりもひどく、軍人の自殺、配給物資の争奪、闇市の出現、近隣農家への食糧買い出しなどが行われ、人々の心は荒んでいきました。このような中で<(戦時中より酷い)戦後の荒廃を救うには文化運動しかない>」との強い意志と希望をもって立ちあがった人たちがいました。そして発行された文芸誌が「飯能文化」でした。

ふつう。人が生きるために、経済のために、まっさきに削られるのが、役には立たない文化(とくに文学)ではないでしょうか──。それを、この地のひとは、生きる為には「文化運動」しかないと、立ち上がったのです。飯能人は凄いなあと思います。人は働かなければ、生きられない。

けれど、働くためには、生きる気力がなければならない。生きる気力、それは人の心が作ります。人の心が折れては、生きられない。その人の心を、生き生きとさせるには、文化しかないと思い立ち、戦後すぐに行動した人たちが、この地には居たわけです。文化人だけでは、運動は大きくなりません。その文化人をしっかりと支える、深い懐の人々が飯能には居たわけです。

その文芸誌「飯能文化」の中心的役割を果たしたのが、この地に疎開して来て居着いてしまった。詩人・蔵原伸二郎。「魅力的な人間だった」彼を応援するひとが次々現れ(お寺の住職さん、お医者さん、商家の主等々)その後ろ盾を得て、同時期に疎開してきた文化人たちを取り込んで、飯能文化は花開くわけですが。

昭和40年3月に65歳で逝去した蔵原が、その1ヶ月前に、生前 最後の詩集『岩魚』(詩誌「陽炎」発行所」39年刊)で読売文学賞を受賞しています。その詩集は、彼に師事した町田多加次氏など子弟たちが「詩集刊行会」を設置して、多くの人に呼びかけることによって発行されるにいたっています。

つまり、詩人・蔵原伸二郎を支える飯能の人々によって、受賞詩集は刊行されたわけです。


はじめの。戦後すぐに、「人々の荒廃を救うには文化しかない」として、人々の救済すなわち魂の救済として文芸誌『飯能文化』を発行したこと。そして、いっときは戦争賛美詩を書いてしまった蔵原の魂を救済すべく、その後、この地で彼の書いた美しい詩群を『岩魚』という一冊の詩集の形で世に送り出したこと。そのことによって、文学賞を得て戦争詩人という彼のレッテルをはがし得たことなど。

このような発想ができる文化の土壌が飯能にはあり、文化を暮らしに取り込む才能が、飯能人にはある。これが、飯能文化の底力ではないか。そのようなわが飯能への思いのたけを(笑)話しました。

あと、飯能の詩人以外でご紹介した詩は「自分の感受性ぐらいは」(茨木のり子)・「夜になると鮭は」(レイモンド・カーヴァ)・「釣り上げては」(アーサー・ビナード)など。いずれも、年齢的に共感できる人や、読みやすくて、飛躍・転調の楽しさを味わえる方の詩を、選んでみました。

詩は何のために・・・のところでは、以下のような話をしました。

・こころのためです。
 胸のなかのこころに、ことばを与えてやると、こころは成仏するのです。
 くやしいおもい、はらだたしいおもい、ゆるせないおもい、外に出すと恐ろしいことになるかもしれない思いも、ことばにして、紙に書くと、こころが落ち着きます。誰も傷つけずに、自分の傷を癒す事ができるのです。短歌や俳句のように決まり事のない、自由なのが詩。小説のようにいろんな資料を調べて、難しい知識を得たりしなくても、書けるのが詩。じぶんのおもいを、きちんと出してやるだけで、いいのです。

「表現するということは、自分が固有な生を生きていることを他人に表明することである。」(鈴木志郎康)「表明すること」には、わかってもらうことや、理解されること、が入ってないことに注意。「自分の固有な経験を他人に伝えることはできないけれど、ことばによってわたしたちは他人と関係することはできるのである。」(「現代詩の理解」鈴木志郎康)・
 友達や家族にわかってもらえなくても、思いが言葉にできると、気持ちはすこし楽になって、落ち着きます。何ででしょうね。やっぱりわかって、ほしいのだと思います。わたしという存在をこの世に認証してほしいのです。それは、人ではなくて、表現でできる、その表現のひとつが詩なのです。


その後で、入門講座ということなので、ざっと詩について(本を読めば書いてあるようなことばかりですが・・・詩の種類や歴史や比喩についてなど)ちょっとふれました。

詩とは何かを、まず「広辞苑」から引き。詩の種類を「用語」「形式」「内容」で分類すると。「用語」の分類では<口語詩>
(現代に使われている言葉で書かれる詩)<文語詩>
(昔に使われていた古い言葉で書かれる詩。)。「形式」の分類では<定型詩>
(短歌・俳句など,(五・七・五など)音の数や句の数の決まっている詩。音数に一定の決まりがある詩。)<自由詩>
(特定の韻律や形式をもたない詩。音数に一定の決まりがない詩。

)<散文詩>
(短い語句ですぐに改行せず、普通の文章(散文という)のように文を続けて書く詩のこと。)「内容」の分類では<叙情詩>(
作者の心情(感動)を中心にうたった詩。

)<叙景詩>
(自然の風景などを写生的・客観的にありのままに描写する詩。)


<叙事詩>(
歴史上の事件や人物などを中心にうたった詩。)などに分けられますが。実際には詩には、万人共通の決まり事はありません。だから、短歌や俳句などの字数や季語などの、「きめごと、きまりごとから、自由になったのが、詩・自由詩」といえます。。そんな話もしました。

自由詩は、1882年明治15年の「新体詩抄」に始まりをおきます。。という、ざっと詩の歴史的流れに触れましたが。資料を調べれば、誰でもわかる内容なので(笑)、このへんにしましょう。

最後に参考までにと「詩を読む人のために」(三好達治)、「現代詩手帖現代詩」(小野十三郎)ほか、大岡信、谷川俊太郎等の、現代詩入門の本を数冊持参して、ご紹介しました。

あとは、女子大での講義と似通った内容「1詩とはなんだろう 2私と詩との出会い 3詩が生まれるとき 4詩が住んでいるところ 5詩は何のために 6詩を読んでみよう 7詩を作ってみよう」の括りで講座を進めました。それと、大妻で時間の関係で話せなかったことなど、詩についてわたしが思う、あんなこと、こんなことを、たっぷり時間があったので、同じ飯能住民同士の世間話を交えながら話しました。

二回目は、ワークショップということで。宿題に出しておいた、それぞれの方の、名前を折り込んで作る、自己紹介の「折り句詩」を発表しました。
お手本は、女子大のときと同じ、山田兼士さんの折り句詩(こんどは『羽曳野』)と葉月野さん・さいとうみわこさんのあいうえお25文字の折り句詩と、ついでに姑に作らせたものも混ぜました(笑)。

「あんまり上手に作らないでくださいね。わたしの立つ瀬がありませんので」とお願いしておいたのですが(笑)。詩ははじめてという方も多かったのですが、とてもみなさんお上手でした。さすが、ご自分のアピールは、みなさんウマい!(笑)。折り句詩で、詩に目覚めた方がいらっしゃたのは、うれしかったです。

最後に、表紙を作ってきておいたので、みなさんの詩を綴じて「折り句詩集」にしました。
「はい。これで、みなさんのいちばん最初の詩集ができましたよ。おめでとうございます!」なんて盛り上げました(笑)
a0082132_85555.jpg

その中の幾つかをご紹介します。

田んぼの中の一本道を
母さんと二人で運んだね
大きなスイカと
黄色いマクワウリ
主のいない野菜小屋の横には牛がいた
こんな遠い遠い景色が胸をつく(高雄さん)

たまには
かなり どじしたり
のんびりすぎるの誰に似た
横浜、演歌、大好きで
生まれた時から 飯能人
これもご縁とよろしくね。(高野さん)

宝の箱をギーとあけると、嬰児が天から贈られてきた
群青に染まるこの世に、魂を未来に伝える使いとして
小さなすみきった瞳 私が映る

いつまでも いつまでも
小さなその瞳に焼きつけて
老いたる父が、この世に生きしことを(田口さん)

感じる心があるから
詩なのかもしれない
沸き上がる
 抑えようのない怒りや
ざわざわと押し寄せてくる
 不安の波を
決められた型なんかに
 押し込めちゃいけない
ささやかなことばを飲み込み
泣きたい想いさえ
 閉じ込めてきたけれど
遠慮なんかしない これからは(柏崎さん)

☆みなさん、詩なんて生まれてはじめて、とおっしゃっておられたのに
なかなかの出来映えでした。たのしんで書いてくださったのが嬉しかった。
最後の柏崎さんの詩は、2回の講座でわたしが伝えたかった思いが
実ったような、うれしい作品でした。

ちなみに、例として出した、わたしのは…

自己紹介詩/名前折句詩(例)
宮尾節子(みやおせつこ)


見てのとおりにコンガリと
灼けたお肌の南国そだちで
大きな声じゃ言えないけど

せっせと好きな詩を書いて
詰まるところ**になって
こうして此処に立ってます

(**ご想像にお任せします。)


みずのおと
やさしくて
おもいでは
せつなくて
つよがりも
ここまでね


三日月、空に懸かるころ
屋根の上ではフクロウが
尾羽を畳んで鳴いてます。
背伸びしていた恋を終え
辛い別れも喉もと過ぎて
今夜は、涼しい風が吹く。

*オマケ(義母の作です。)
みずうみの上に
やまの影がうつり
おおきな赤い鳥居が見える
すずしい風に吹かれて
みなもがゆれる
こみちの続きの木々が蒼めく

☆こんな感じで、4時間も、どうしよう、と思った、講座も、無事終わることが
できました。ありがとうございました。
[PR]

by sechanco | 2013-09-05 14:40 | 地域に生きる

ひとをそだてる しをそだてる

a0082132_17393552.jpg
7月10日。大妻女子大・ライフデザイン学科・基礎ゼミナール「表現の仕方、詩という表現方法」の講義の講師を担当させて頂きました。

前回は120名の一年生全員を一度に前にして、だったのですが。今回は60名ずつ2コマに分かれてだったので、じっくりと向き合える感じがしました。

新入生の基礎ゼミナールなので…ということで。基礎的なことややさしい話(しかできないのですが・笑)をしました。「1.わたしと詩との出会い 2.詩とはなんだろう 3.詩がうまれるとき 4.詩が住んでいるところ 5.詩はなんのために 6.詩をつくってみよう」こんな順番で話をしました。

1.「わたしと詩との出会い」では、土佐というと海を思い浮かべるかもしれないけれど。実は高知県は、県の面積の84%が森林で覆われている森林率が全国でナンバーワン。日本一の森林県ですとわたしの郷里の話と。本になる元の木はたくさんあるけれど、本屋さんは一軒もない山の麓の小さな村落に生まれましたと。まずはわたしの山猿宣言(笑)をしました。

目の前にいつも山があったので、どうしても「山の向こうを」思うあこがれが、わたしの想像力を育てたかもしれないことや。本というものはなかったけれど、空の雲行きを読んだり、雨で草木の育つ姿を見たり、木に登って木の実を取ったり、蝉を捕まえたり。泳げるようになると水の匂いが変わる川のことなど──

鳥の声、虫の声、風の音、雨の音を聞き、空の色、葉っぱの色、雲の形を見て。そんなふうにして、どんな木にどんな実がなり、どんな草が食べられてどんな草が毒か。どこで魚が釣れて、その餌は何か、釣れた時の手応えは、どんなか。どの木の実は酸っぱく、どの木の実は甘いか。どんな場所は危なく、どんな場所は安全か──このように、言葉なき野蛮な世界で(笑)。本より先に、体で。五感の「ミル」「キク」「カグ」「アジワウ」「フレル」自然を、読むくせがまず身に付きました。「はじめに、言葉ありき」と聖書にはありますが。わたしにはまず、はじめに自然ありき、体ありきでした──そんな子どもの頃の遊びや昔話から始めました。

2.「詩とはなにか」では「わたしの見え方。わたしの言い方。わたしの並べ方で。つまりわたしのコトバで、世界を語るたのしみ。」ではないかと話しました。詩とは何か──をぴったり言い当てていると思えるわたしの大好きな詩、アンドレイ・ロシュディーの『庭に降る』の美しいフレーズ「風のコトバ、顔の秘密、夜の仮面、静寂の色を知るために、樹や友達の声、知性、手、影の先をもう一度知るために」「君は練習を必要ない。君がその唯一の先生だから」「さあ君は庭に降りる、君の庭に」「君のコトバは、星に開かれている」を例に引きながら。また、モンタージュ写真のように、言葉の並べ方で、どれほど変わるか。詩になるか、あるいは、詩でなくなるかも、いろいろ並べ替えて、みんなといっしょに考えてみました。
「詩とはなにか」「言えなさだ」というわたしの、いつもの話もしました。「言えない」と思ったら、「困った」と思わず「しめた」「詩人になれる」と思ってくださいと──。「言えなさ」については、前回と同様に「円周率」(3.14を3にすると)の話もしました。言葉とは(真の値に憧れつつ果たせない…)近似値のことではないかとわたしは思うと。近似値についても少し触れました。もっと飛んで、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の主人公の「かんだた」は実は「きんぢち」の一文字ずつをあげた言葉が犯人ではないか(!)・・・というわたしの妄想論はぐっとこらえました(笑)

3.「詩がうまれるとき」では。案外、見間違いや聞き間違いが、詩の発火点になったりすることなども話しました。どんどん空耳、空目をしてみましょうと(笑)。打てば響くというけれど、強く胸を打たれたときは、考えなくても、詩はいくらでも勝手に出て来ます。鳴るのですと。わたしの「詩人楽器論」を展開したりしました。考えなくても、鳴る。鳴ってしまう。しかし、この鳴ってしまう無意識の器。これが詩書きの、逆に不自由で、危険な罠にはまりやすい、怖いところでもあると…。

4.「詩の住んでいるところ」こころです、と答えました。「98%の水分と2%の塩分とミネラル」では頭にしか入らないものが「涙」という一語に変換した途端にすとんこころに入る。ある外国の小話を例にとりながら、頭と心のちがいを、感じてもらいました。
難解な現代詩については、たまたま見つけた視力回復用の医療本(?)の3D画像をテキストにして。じっくり向き合い、見るポイントを掴むと、あれよあれよと見えてくる(読めてくる)たのしみかたを伝えました。視力も詩力もこうやって、鍛えるとどんどん進化しますとか言って(笑)。3D画像のプリントを実際にみんなに見てもらいながら「あ、みえた!」「わあ、だんだん、みえてきたー」という声があがるのが、「あ、読めた!」「だんだん、詩が読めるようになってきたー」の歓声のようにうれしく聞いてました。

5.「詩はなんのために」こころのために、と答えました。こころは、ことばで成仏します。ことばで傷ついたこころは、ことばで癒すことができるはず。よしもとばななさんは、売れる前のころは、「自分を癒すために書いていた」と言っているし。谷川俊太郎さんは「科学が教えてくれることだけでは、自分は生きてゆけないと思っています」と書いている…そんな話を織り交ぜながら。「魂の救済のために」と言いたい気持ちを、ぐっとおさえて(笑)。「ひとりでできる、自己救済のためのツールのひとつです」「だれも助けてくれなくても、じぶんでじぶんを助けることができる。これは覚えておいて損はないでしょう」と話しました。

6.「詩を作ってみよう」前回は17文字の一行詩を作ってもらいましたが。今回は、行頭に自分の名前を入れて(折り込んで)詩を作る「折り句詩」ことにしました。いきなり詩を作るとなると一行でも大変ですが。名前の折り句詩ですと、とっかかりの一文字に悩むことはありません。自分の名前を折り込むので、自己紹介・自己アピールも兼ねられてたのしく便利です。

さいとうみわこさん・葉月野さんお二人のツイッター折句連詩『五十音順連詩』(あいうえお…を折り込んでやりとりしたもの)と。山田兼士さんの芭蕉の句(「折々の伊吹を見てや冬籠」を折り込んだ)折句詩『岩山望景詩』のプリントを参考資料として配りました。(さいとうさん、葉月野さん、山田さん。ありがとうございました!)

ただ。まずはわたしが、試しに誰かひとりの名前を聞いて、その場で作っていこうと始めたのは、よかったんですが。2コマ目の教室で、聞いた方の名前には、なんと…「ん」がついていて…想定外(甘い!)のことでしばしフリーズ状態、あせりましたw。心の中で(みわこさーーん!ん、はどうするんだっけーー?)と叫んでしまいました(笑)。(*前行のつづきとして、折り込めばよかったんですね。山田さんの折り句詩がその辺とても鮮やかにこなされています。)

そんなこんなでしたが。講座の始めに、「教科書以外で、詩を読んだことがあるひとは…」と手をあげてもらったら、120名のうちの2人だけ。。これが詩の現実かと、世間を思い知る場面があり。ちょっと不安になりましたが、杞憂でした。

さすが、今どきの女子大生さん。ケータイメールなどで、言葉のやり取りは鍛えてあるからでしょうか。みんな、うまい!つぎつぎに傑作がでてきて「自己紹介折り句詩」の威力に驚きでした。「あ、また一人、詩人が生まれました!」とかわたしもうれしくなって、声をあげてしまいました♪折り句詩なので、お名前が出てしまうので、ご紹介できないのが、残念ですが。とても自由な発想で、飛躍がたのしく、伸びやかで、保存版にしたい、折り句詩ばかりでした。折り句詩のお手本もよかったのでしょう。折り句詩の詩作は、大正解でした。

詩の発表場所として。ツイッターで詩や連詩ができることもついでにお知らせしつ。ツイッター連詩の冊子『pw30』も参考資料として配りました。ツイッターというみなさんの馴染みのツールなことで、こちらも女学生のみなさんに熱心に読んでもらってました。(pw30冊子の参加者のみなさまありがとうございました!)


詩の講義を担当した、ライフデザイン学科は。「物ではなく、心を豊かにするものを、暮らしのなかで模索していきたい」そういう理念のもとに、たくさんのカリキュラムが組まれているそうです。「学者を育てるのではなく、人を育てたい」そう熱く語る学科担当教授のお話をお聞きして、そこに詩が呼ばれることがとても嬉しくありがたく、思いました。

ことばではなく、こころをそだてたい。そだちたい。ひとや、こころを、おきざりにしない、ことばをさがしたい。「学者ではなく、人を育てたい」大妻女子大・ライフデザイン学科の学科理念は、わたしの願う、詩の姿と近いものを感じました。

たっぷりとした緑に囲まれた環境と景観のよい学舎です。いっときは学び舎は静かな自然の元でと、都心から自然豊かな近郊地へとつぎつぎ移転していましたが。近年の風潮として、やはり便利な都心へと学舎がUターンを始めたそうです。こちらの素敵な学舎も数年後には都内へと移転となるそうで、少しさびしい思いがしました。

担当の先生が持参したわたしの詩集「恋文病」を、いつの間にか読んでいてくださっていて。気に入ってくれたとのことで「ホテル」をみんなの前で朗読してくださったのに、驚きましたが。とても、嬉しかったです。詩についても、身近な話ばかりをしました。お役に立てたかどうか、こころもとないですが。こうして再び、喚んで頂いて、ありがとうございました。

新入生ばかりの女子大生の教室はお花畑のようでした。みんなお洒落できれい。楽しかった。眠る前に、詩を読んで、詩を書いた、人口がほんの、ちょびっと増えた、晩だと思うと、うれしい晩に、なりました♪

ライフデザイン学科の西成教授の言われた「ひとをそだてる」はそのまま詩にも言えることだと思います。詩を育てることが、人を育てることで、ありたいと、まずは自分自身に、願っています。育ちたいと願いながら、なんどもなんども、未熟なものに、推敲をかさね、書いていきたいと思います。もはや、わたしにとっても、詩をかくことが、わたしのライフラインであり、わたしのライフデザインなのだと思います。



ずいぶん端折って、まとめてしまいましたが。書きかけていたままに、なっていた7月の記事に少し手を加えてアップしました。(9月1日記)

読んでくださって、ありがとうございます。
[PR]

by sechanco | 2013-09-01 14:13 | 日々