せんぞはぶしらしいのですが。おちのびて、かさはり、かみすき、などへたのでしょうか…。わけありの?しょくにんのむすめとしてうまれました。なぜか、スーツをきてでかける、だいくが父。ふゆはフロックコート。家では和服でかきものをして。
おおきくなって、道具箱を肩にぼんてんはいて、さぎょうぎすがたのおにいさんを、みて。「あれは、だれ?」「だいく」「え!?」――ネクタイをしめてない大工さんをはじめてみたときでした。ちちのなかまとは(笑)
現場が汽車でかようほど遠かったので、父は職場で着替えたようです。自分の気配・物の気配を消した、佳い仕事をしたとおもいます。だから、わたしのなかでは、気配を消す仕事=職人・気配を残す仕事=芸術家。もっと口のわるいときは、「職人の削り屑で芸術家の家が建つ」なんてゆっちゃってます。御免。
そのせいか、職人さんや、町工場がだいすきです。かれらのうつむいてはたらく姿、昼飯時のなごんだ姿、窓からもれるゆるい機械の音なんかを、立ち止まって聞きほれたりしてしまう。窓を開けっぱなした、こんな光景がだいすき。
材木置き場には、しのびこんで、製材されたばかりの木の匂いをかぐのもすきです。それは、あまくせつなくミントのまざった薔薇の香りに少し似ているのです。
ひさしぶりのやさしい雨でしたね。This is a pen・・・って聞こえる危うい家内詩工場です。(^^