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いったい、何が起きているのか。
「俺は、この人の息子で良かった」とご子息に言わしめた、 衆議院厚生労働委員会で「放射線の健康への影響」について 参考人として発言された 児玉龍彦氏の涙をこらえ、ときに言葉を失いながらの、渾身の訴えが、はっきり答えをくれました。 人が踏み込んだことのない世界―― 予想のつかない世界が未来だとしたら、まさにわたしたちは「いま、未来にいる」と感じました。 とんでもない未来に到着してしまったと。 科学のつくったもの、脳がつくったものを、止めるものは 人学(ひとがく)以外に、ないのではないでしょうか。 心で止める。人の心が食い止めるしかない、ものの前に 立っている気がします。 この方の演説には、人間の声が聴こえます。人としても論としても、これ以上はない姿に出遭ったとおもえました。 詩もまた、その「未来」という場所に、踏み込んだという知らせが、話題になった和合亮一さんのツイッター詩『詩の礫』の発信だったのではないでしょうか。『比喩は死んだ』(『詩の礫』より)という彼の言葉には、衝撃が疾りました。 上の、児玉さんの動画で「緊急に子どもの被曝を減少させるために、新しい法律を制定してください」「わたしの現在やっているのは、すべて法律違反です。」「多くの施設では、セシウムCO権限など得ておりません」「車で運搬するのも違反です」「しかしながら、(南相馬の)先生方やおかあさんがたのもとに、高線量のものを渡してくるわけにはまいりません」「除線したものをドラム缶に詰めて東京に持って帰ってきております」「受け入れも法律違反、すべて法律違反です。」「しかしながら、このような状態を放置しているのは国会の責任であります。」この、渾身の、捨身の訴えを わたしは、そのまま現代の詩の状況にも置き換え得るのではないか・・・とふとおもってしまいました。 「七万人のひとびとが、自宅を離れてさまよっているときに・・・」 「国会はいったい、なにをやっているのですか!」という憤りを、和合さんは自らの詩にもぶつけての発信ではなかったのでしょうか。 和合さんの現場(被災地)からの「ツイッター詩」は、多くの一般のひとびとの心をうち、感動をよびました。おかげで、アンダーグラウンドだった現代詩の世界がにわかに脚光をあびました。しかしながら、詩を書く人たちからは少しばかり冷ややかな視線を送られていることも事実です。わたしだって「明けない夜はない」は、ないだろう・・・と正直思ったりしました。そこは、そこだけは、借り物ではなく、じぶんの(血肉のついた)言葉で踏ん張らなければならない場所ではないか、などと。 ただ。上の児玉さんの発言を聞き終えてはじめて、和合さんのやったことを、その緊急で切実な思いを、真意を、必然性を、理解し了解したようにも感じました。 不謹慎をおわびしつつ、うえの、児玉さんの引用部分を、書き換えてみます。 「緊急に(未曾有の震災に対処するために)…新しい詩型を作成してください」「わたしのやっていることは、すべて現代詩のルール違反です」(「悩まない詩」(表現的には)と指摘する詩人もいました)「多くのフレーズで、詩かどうかの、検証などしておりません」「しかしながら、多くのせんせいやおかあさんがたに(現在被災している現地の人々に)高線量(ハイレベル)の現代詩など渡してくるわけにはまいりません」・・・・・・「しかしながら、このような状態を放置して」 「現代詩は、いったいなにをやっているのですか!」 ***** 「詩を」書こうとしたのが今までの詩人の仕事なら、その蓄積で得た「詩力」で 「詩で」向かわなければならない 「未来」に詩は立ったのではないでしょうか。 「詩を書こう」とする猶予のない場所に立ち向かって和合さんの 「詩で書こう」としてはじまった未知との攻防の記録が『詩の礫(つぶて)』だったのでは、ないでしょうか。 しかしながら、ここには。大きな問いが生まれます。 それでも(現実に身は破れかぶれになりながらも、揺るぎなく高潔な) 『詩を書こう』とするのが詩人の仕事か。 それなら(現実に詩は破れかぶれになりながらも、この世を己が身を) 『詩で書こう』とするのが詩人の仕事か。 その問いは大きすぎて、わたしには答えられない。けれど。。。 詩人に所属するのか、人間に所属するのか、の最後の選択がここには置かれているように思います。 同じ場所で 児玉さんは、あらゆるものをかなぐりすてて、 人間の声をあげたのだと思います。 そしてふしぎにも、その声は限りなく、 わたしのおもう、詩にちかいものであり、 彼の弁説は、素晴らしい詩の朗読の、ようでありました。 *拙いわたしの思い、拙いわたしの文章に、さいごまで、おつきあいくださり、ありがとうございました。 m(__)m。 *写真は、いつもの入間川の河川敷。思いついて、裸足になってみたら、あしうらがくすぐったくて、でも雨上がりの芝の感触が、気持ちよかったです。あしがよろこんでました。たまには裸足で踏んでみるのもいいものです、地球を。バチが当たりませんようにと。あら、犬はいつも裸足でしたね♪
by sechanco
| 2011-08-01 10:38
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