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晴れときどき 宮尾節子


宮尾のブログ talk to who?               
by sechanco
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フレスガッセとショウセツカノシ

フレスガッセとショウセツカノシ_a0082132_8553679.jpg知り合いのお店があるので、時々軽井沢に出かける。
昔は「軽井沢」という響きだけで、なんだか特別な人たちだけのためのお洒落で贅沢な場所というイメージで、憧れや想像をかきたてられたものだ。今は、いいやらわるいやらだが、私のような普通の人も気軽に行ける場所となっている。というか、若者向きの原宿化してひさしい。

軽井沢はもともと避暑地なので、一年の殆どの収入は夏場に稼ぐ。そして、夏が終わると閉店する。そういうお店が多い。しかし、一年は夏のひと時だけよかった、バブリーな時代は終わり、不況や不景気の波はこのセレブな街にも押し寄せて、今は夏が終わっても開いているお店がけっこう増えている。

そして、その時代の流れに関係なく、地元の人や、近郊の人がやってるお店は、<昔から>冬でも営業していたようだ。元祖・通年営業だ。観光客や避暑客の訪れない冬場に、だれのために。なんのために。──もちろん、地元のひとたちのためにである。

軽井沢の近くに自宅がある、わたしの友達のお店(*内緒♪)はこの通年組なので、もちろん冬もやっている。おかげで、冬の軽井沢に足を運ぶ事ができる。雪降るの軽井沢の景色が愉しめる。そして、何よりうれしいのは、地元の人たちの行きつけのお店に連れて行ってもらえること。ほんとうに、こんな良いお店が、こんなところにと、驚く。知らないお店ばかりでうれしかった。そして、何とも人情味あふれる、ここほんとに軽井沢?な、お値段もお人柄もほっとするうれしいお店ばかりなのだ。そして、みんな同じ通年営業の越冬仲間だった──。

友達を知らなかったらお洒落なガイドブックに載ってる、絵に描いたようなそれっぽい店しか知らずにいただろう。友達が「やあ」とお店に入ると、「おや」とか「あらま」と言って店主さんが寄って来て肩をたたき、店員さんが相好を崩し、なんとも親しく温かい表情で我々を迎えてくれる。それは、友達のおかげだ。以前観光客として、訪ねていたときにはお目にかかれなかった景色だ。持つべきものは…とありがたく思う。林の奥にあるパスタ屋さん、道路沿いのステーキ屋さん、目立たない小さな中華屋さん、そして。いよいよ本題の、今日ご紹介したい、軽井沢でこんな言葉の付く店があるなんての「大衆食堂・フレスガッセ」。

ええっ。こんなお店が、この軽井沢に!と入ったとたん、まずはびっくりして息を吞むほど、アットホーム感というか下町感がみなぎっている。「いらっしゃい」コックさんキャップをかぶった看板娘(70歳とも噂される)のにゃあとした懐っこい笑顔に迎えられ。おつぎは胸にバッテンのオンブ紐をかけて赤ちゃんを背に、にこにこ味噌汁を出してくれる気のいいお嫁さん。「そっちは、どう?」とやっぱりにやにやとキッチンの奥から出てきて友達に店の案配を訊くのは、アリゾナのサバイバル大学を卒業してから、店を継いだ気さくな男前の息子さん。

すぐそばには、プリンスホテルや、少し行くと今をときめく巨大なアウトレットモールがある。お洒落で巨大な人工キノコのそばに、地味で小さな小さな本物のキノコが、道端にひょこっと顔をだしているように『大衆食堂 フレスガッセ』はある。見逃してはいけない!

店内に入ると、まず壁にずらっと並ぶ木の板に手書きのメニューのもったりとした文字のその「下手あたかたかさ」。そして、カラオケの表彰状(はなかったかな?)や歌舞伎の役者絵。ギョッとするお肉のぶら下がった薫製場の写真と作り手の笑顔。洗い込んだ布にくるまれ機嫌よく箸たちが放り込まれている筒状箸立て。窓辺にはヘンテコな木彫りの人形「だいだらぼっち、だ!」(*ご当地トロル)が歴史を重ねて黒ずんでいる。かと思えばレゲエ頭のボブ・マーリーらしきモザイク大パネルが正面に鎮座ましまし。あれやこれやそれや舟木一夫の割引券やの雑居が愉しい、大衆食堂色に抜かりは無い。

赤ちゃんのオモチャもその辺に転がり、家族の誰もが、誰にも遠慮してないし、お互いのデコボコを受け入れている感じ。<ラブ>だ。それが美を超越した(笑)店内のディスプレイに反映している。その寛いだ雰囲気のなせるワザか、店内に入り椅子に座った途端に、客がみな自然と笑顔になっている。もちろん、トイレは「失礼します」と靴を脱いで店側から自宅側に上がり込み、座敷のそばの狭い廊下を抜けてお家の匂いを嗅ぎながらの、ぐっと彼らの暮らしに踏み込ませてもらった、突き当たりにある。トイレから帰ってくるともうすっかり親戚のような気分になっているのが、おかしい。

書き出すとあれこれそれの楽しさにきりがないから、この辺にして・・・。
さて。かんじんの味だが、これがまた、うまい。とても、おいしい。「フレスガッセ」は手作りハム・ソーセージのお店です。「ソーセージ定食で、あそこまでご飯がすすむとは…」と客を唸らせるには理由がある。まずは添えられる味噌汁に「う・うまっ…ぃ」ともう唸り、つぎはソーセージの太さ、味わい深さにまた唸る。滋養とは、滋味とは、いや慈愛とはこのことかねと思わせる。ここでこの食の道27年の味の懐は、実に深い。(いやん、書いてるだけで行きたくなっちゃう。)

涼しい夏の日も、紅葉のきれいな秋の日も、雪に覆われた冬の日にも・・・そうです。どこもかしこも閉まって真っ暗な雪の夜道のひとところに、ぽつんと灯る・・・まるで山小屋のランプのような「フレスガッセ」の看板のぴかぴかとした明りのうれしいことその慈悲深いことったら、ない。山姥が居たとしても、わたしは飛び込んで悔いない風情だ。(*撮った筈の写真が見つからないのが口惜しい!)

都心よりこんなに近く、山の緑、おいしい水、清冷な空気、ゆったりと落ち着ける心豊かな町。こんな軽井沢にハム・ソーセージの食道を開いて27年になります。

建物自体は手作り40年程の歴史があり、今では傾き少々、隙間風程よく、お洒落な軽井沢らしくない店構えです。街道添いのこんなににぎやかな軽井沢になる以前の面影を残したままの古い定食屋です。店構えに惑わされることなく、勇気を振り絞ってご来店ください。本当においしい定食がいっぱいありますよ。
 」──フレスガッセHPより。

★ソーセージの盛り合わせ定食がまずはオススメかな?
是非、いちど♪




さて。ここから話をがらっと変えますが──ごめんね。
小説家が詩の賞を取る。小説家としてすでに一家をなしている方に、詩の賞を授与する。ということが、起きていて私はとても驚いている。内容が良ければ、贈られて当然、取って当然である。それは、しごく正論である。

しかし、だ。わたしは、ひどい話だなとおもう。詩書きたちの台所事情をご存知だろうか。どんな大手詩関連の出版社から出ようと、買い取り出版とか共同出版とかどんな結構な呼び名を頂こうと、実質的にはほとんどの詩集(*現代詩)は自費出版である。ほんの数人の(数十人でなく)著名・売れ線詩人を除いて、あるいはよっぽどのワケアリな事情を除いて、著名・無名、大家・新米かんけいなく現行詩集の100%が自費出版である。いや120%が、と言いたいぐらいだ。

詩人たちは、たまたま運良く生まれた星のもとが、余程のお金持ちである者は別にして──。詩を書くために、他に仕事を持ち、お金を貯め、家を買うのをあきらめ、車を持たず、旅を慎み、巷の遊びをこらえ、やっとのことで、普通に三桁はかかる高額な詩集を出版する。それが、この国の詩人の現実である。この国の詩集の出版事情である。そして、詩集の制作費は、装丁に比例するし、頁数に比例する。そうそう立派な本をつくり、そうそうたくさんの詩に日の目を見せてやるわけには、いかない。そうして、できあがった詩集を置いてくれる本屋さんは、しかし、ほとんどないのだ。──これが、この国の詩の現実だ。決してオーバーな物言いではないとおもう。なんというか…正論なんてちゃんちゃらおかしい場所だ。

それでも、詩が手放せない。周囲からはウザがられ、家族には疎まれ、変人扱いされ、だんだん常軌や正気を外れていきながら。それでも、詩だけは放せない。僅かな蛍の灯にすがるように、細々と詩の灯だけを頼りに生きる、必死の瀕死のすでに狂気の詩書きの、詩の声を取らず、詩の深き声を聴き取れずに、どこの馬の骨を取るのだ──君らは。いや、どこのだれの、旨の骨を取っているだろう。

出版社を見ればいい、小説家は詩集に一文も出していない、企画出版の筈だ。確かに、素晴らしく巧い。舌を巻くほど巧く、読ませるコツを心得ている。巧い?それがどうした。巧いのは当たり前だ。いくらでも書きさえすれば、原稿料も本も出してもらえる小説で、いくらでも巧く成れるように、鍛えてきたのだから。プロならば、普通の事だ。なら、その話題作を、自分の畑でやってほしい。小説家の畑で。自分の鍛えた畑で実らせ、授賞するべきでないのか。なぜ、よその、よりによって極寒の極貧の、詩の畑にやってくる。

もっと、はっきり言おう。もし、あなたでないものが、小説家でないものが、詩人が、詩だけを書いてきたものが、その詩の賞を取ったら(すごく当たり前の事だが)。そして、賞金をもらったら。どうするか。彼らは喜ぶだろう──ああ、これで次の詩集が出せると言って。そのささやかな願いがひとつ叶うだけだ。

詩人の詩が下手だから、と言う向きもある。しかし、下手なのは当たり前だろうが。書く場所がないのだもの。発表する場所が、そして詩集を置いてくれて、読んでくれて、反応をもらう場所がないのだもの。イッタイ、ドコデウマクナレバイイノ?その辺境のなかで、その物凄い下手さを生きる、詩の地声を魂で聞き取る役目こそが、選考委員の仕事ではないだろうか。その声を取らず、世間的に善なるもの、社会的なまともさ、良識、その「己の公正・己が正しさ」を証明してみせるがごとくの判断は、詩にはそぐわない。詩を評価するには、値しないと思う。

ごちゃごちゃ書いたけれど、ざっくばらんに言えばこう──
「べつにくえてるものに、くえてないもののための、しょうをあげんでも、
ええんちゃうの? ほめるだけで。」負けてまうわと♪


フレスガッセは、軽井沢の昔も今もを生き抜いてきた。
フレスガッセは、軽井沢の厳しい冬を凌いできた。
夏場だけにやってくる、大手の別棟(べつむね)ではない。
詩書きの冬に震えたことのない、小説家の別棟に
詩の賞をやることはない。



違うかしら。違っていてもいい。もの凄く間違っていてもかまわない。これが、わたしの意見でなければ、異見です。

フレスガッセに、小説家はお断り。だれがきめた。わたしがきめた。
フレスガッセとショウセツカノシ_a0082132_1746208.jpg

*フレスガッセの看板おばちゃん。↑
ほんとはトロルのように小柄でもっとチャーミングです♪<(_ _)>。

フレスガッセに、小説家はご遠慮お願い。だれがいうた。わたしがいうた。

わたしのしたを、ちょんぎってやれ。ちょっとまっておくれ。
フレスガッセに、よってから。

わたしのしたを、ちょんぎってやれ。ちょっとまっておくれ。
フレスガッセで、たべてから。


★フレスガッセはこちら♪
★限定20食だっけかなの、ナポリタン(ソーセージどっさり乗っかり)も
知る人ぞ知る隠れ人気メニューですよ。


☆悪い子の悪い文章を、最後まで読んでくださってありがとうございました。m(_ _)m
 ここでしか言う場所がない、ついでの思いも書きました。

 おしまい。

文じゃない。詩は人だ。──宮尾節子

by sechanco | 2012-01-25 13:33 | あれこれ
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