花が
咲いているのが
うれしい
鳥が
鳴いているのが
うれしい
風が
渡ってくるのが
うれしい
水が
流れているのが
うれし──かった
小さな動物や
草木や
細やかな日々
が
変わらずに
そこにあるのに
わたしたちだけが
変わった
わたしたちだけが
変えた
うれしいを
かなしいに。
こどもの目が
見れない。
でも——
花が
咲いているのが
うれしい
鳥が
鳴いているのが
うれしい
風が
渡ってくるのが
うれしい
水が
流れているのが
うれし、い。
小さな動物や
草木や
細やかな日々
の
変わらずに
そこにあるものに
わたしたちは
応えたい
わたしたちは
変えたい
もういちど——
かなしいを
うれしいに。
こどもの目を
見たい。
(後日記:*「でも——」以下をつけたしました。読むたびに、悲しくなるのが嫌で。かなしい詩が書けないようです、私は。おゆるしください。^^)
ハルさんの
『☆ふくしまをみてください』のブログを読んで、呼応するように書いた詩です。
『
なくなったものは、庭の東側にあった太い桜の木です。樹皮に染み込んだ放射
能もやはり取り除くことが出来なかったのです。桜の木を自らの手で切った友人
は、「切った後、手が赤く腫れあがった。余程切られたくなかったんだろう
な」、皮が剥けてボロボロになった両手を見せながら淋しそうに話しました。
しかし、そうしたさまざまな苦闘の結果、空間放射線量は毎時0.2マイクロ
シートベルトまで下がりました。この数字は、二本松市内では、最も低い数字だ
そうです。とはいえ事故前と比べればまだ高いのですが、関係する全ての大人た
ちの合意と総合的判断で、子供たちは今、裸足で庭に出て遊んでいます。 』
友人のところに送られてきたという、幼稚園で除染活動をする方からのメールにもとてもこころを打たれました。『放射能から子どもたちを守るために「NPO法人チーム二本松」という組織が立ち上がりました。
☆こちらのホームページも是非ご覧ください。』とのことです。
それでも。よい日曜日を!と願います。