晴れときどき 宮尾節子


宮尾のブログ talk to who?               
by sechanco
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ママゴト遊び

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小島さんから、詩誌といっしょに贈っていただいた、ちいさなNote book。
開くと美しいレース模様の白い紙束が薔薇のように、手の中で咲いた。いちまい、いちまいが花びらのように柔らかくなんどもなんども撫でていたくなる感触。ランダムなサイズの頁のまんなかには芯のような小さな塊も入っていて、「あ、白薔薇が本になってる!」(「薔薇がひらく」と「本をひらく」のことばが一瞬で目の前でつながり――)と気付いて、ひどく感激した。彼女の詩集『((天使の羽はこぼれてくる))』のなかの、薔薇のひだに眠る蜜蜂が幻視えた気がした。。。

とたんに、スイッチがはいった。からだはおもしろい。たのしいと勝手に動き始める。それからは、梅漬けにしそを入れることも。旅行中にたまりにたまったあれこれもほったらかして。「開かずの箱」に近い裁縫箱を、あけて。ボタン付けだって一年がかりの苦手な糸と針をとりだして、つぎは、S子さんに頂いたばかりのきれいな薔薇を残酷にむしるところから(!)。。わたしのママゴト遊びははじまった。こどものころと同じあの懐かしい気持ちがよみがえり夢中になっていた。
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そして、小島さんの「Rose Note」(ああ、あれは天使の羽だったかもしれないと、後で気付いたけれど…。見間違いや聞き違いこそがすでに詩の発動の徴だ。)のWhiteのお返しに赤い『Rose Book』をつくった。詩をつくるように、気がついたらできていた・・・というのが正解。薔薇のいっとう大きな葉っぱを表紙にして、文字も入れた。開くとこんな感じ・・・
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一つの薔薇でつくった、一冊の本。一冊の本の頁がぜんぶ一つの薔薇の花びらでできている。本を開けると、薔薇が咲く。薔薇が読める。。。「触発」される、とはまさにこの事だと。じぶんの行動におどろきながら躰で了解した。とてもうれしかった。頂いた薔薇も本になって、生きたとおもう。

なつかしいママゴト遊びを思い出させてくれてありがとう。小島さん。(^_^

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# by sechanco | 2008-07-10 11:32 | ミヤオ・リターンズ

頂いた

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「海亀の通り道だよ。昨日のゆうがた5匹見たよ」と島タクの運ちゃんに教わって、潜った海の。浜辺で見つけた椰子の実ひとつ。頂いた。品種:「遠き島より」(joke)サイズ:シャレコーベ(M)  特徴:振るとちゃっぷちゃっぷ波の音。



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初日と最後の日に泊めて頂いたAさん宅で、頂いた沖縄初日の晩ご飯。感激。採れ立ての海ぶどうの美味しいこと。ぷちぷちが病みつきに。熱帯魚の?お刺身と麩チャンプルと、のどかなロゴに癒されるオリオンビール。飲み口すっきり。ご馳走様でした。あとでご主人がさんしんを弾いてくださった。朝は広い窓から水平線が…わおっでした。



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薔薇上手のSさんに、「お誕生日に花が咲くようにしたのよ」と丹精に育てられた薔薇を頂いた。淡いピンクのまんなかの大輪が特によく匂う。枕元のテーブルに飾って、薔薇のそばで眠った。薔薇の香りで目が覚めた。ごおじゃす。



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北海道生まれのMさんから、彼女が紅花で染めたという美しいスカーフを頂いた。あまりに色がきれいで、首に巻いたり手にかざしたり一日中見とれていた。眺めているだけで幸せになる色。しあわせをもらったようだ。島でなにかにかぶれて熱をもった首周りを、そっと包んでくれるシルクの肌触りが涼しくやさしい。ありがたかった。宝物になった。



頂いたもの、して頂いたことに見合うようなヒトにならなくちゃと…とちょっと焦った(笑)誕生日でした。もったいないものばかりです。ありがとうございました。

「ところで、幾つになったの?」「あのね、いっぱい。」(^_^)/~~
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# by sechanco | 2008-07-02 09:54 | ミヤオ・リターンズ

沖縄シンドローム & Noli Me Tangere(我に触れるな)

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一緒に行った友達は、なんだかうまくこっちの元の暮らしに着地できないと言っている。帰ってから36時間眠り続けて、起きてもまだ夢から覚められない感じだという。

わたしは、帰ってから首の周りや腕にたくさんの赤い発疹ができて、掻けば掻くほどそれが増えていき。指先で触れるところすべてに発疹ができていく。「まるでティンカーベルの魔法の指先みたいだ…」と妙な感激もしていたが、「触れるところがみな詩になっていく…んでなくて…湿疹になっていく(笑)」んで、痒みがたまらず。ついに皮膚科に駈け込んだ。「南の島の虫にやられたにしては、帰ってきてから1週間も経ってるんでしょう。こちらで、毛虫にでも刺されたのじゃないですか」と医師はつめたい。でも、確かに島の知人が、同じ症状の首や腕を見せてくれていたもの。。抗アレルギーの飲み薬とステロイドの塗り薬をもらった。「虫さされは島みやげだよ」と言う人もあったが。・・・まてよ。ひょっとすると、大好きなパッションフルーツの食べ過ぎかも知れない…という心当たりもある。ひとにいえないぐらい、たべた。だって、世界で一番好きな食べ物である。パッションフルーツは。このPassionは「情熱」ではなく、「受難」の意味だということを想い出した。身にしみて。

数々の出会いがあった。気になっていた『ブコウスキー』の訳者のひとりである、とても素敵なAmyさんとの沖縄での出会い。とてもよくしてもらった。そして、帰ってからの小島きみ子さんという詩人の言葉に出合ったこと…。Deep south そしてpassion fruitそして小島さんの詩集の薔薇の花びらの間に眠る蜜蜂の姿から訪れた言葉「Noli Me Tangere」我に触れるな。

わたしは 触れて しまった かも…。

すきなものに ふれては いけないの かみ
さま?…

触れたシルシの・・・
発疹はからだじゅうに広がって、満天の星空のようだ。。んなこと
いってるばあいじゃないが・・・痒いぜ。^^;
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# by sechanco | 2008-06-28 12:21 | ミヤオ・リターンズ

ストロー

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「沖縄に行くならぜひ、寄っておいでよ」と紹介してもらった海辺の喫茶店。立ち寄った時は引き潮だったけれど。潮が満ちてくると、目の前まで海がやってくるそうだ。時々、前の浜でライブなども行われていて、潮が満ちてくると設営した舞台が海に浮かぶとか。想像するだけで、たのしい。

朗らかに演奏しながら楽隊を乗せたまま島が離れていく、『アンダーグラウンド』という映画のラストシーンが想い浮かびました。

席は窓際のみで、すべて海にむかって開かれている。

押し開きの窓も、開け放たれていて、窓が開いているのか
胸が開いているのか、わからなくなるほど心地よい。

珈琲等だけれど、景色に合うようにハイビスカスのアイスティーを
注文。水平線にストローを立てる。

すずしい海をいただく。美味しい。
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# by sechanco | 2008-06-26 07:40 | ミヤオ・リターンズ

Deep south

a0082132_942998.jpg生まれてはじめて沖縄に行きました。そして、離島に渡ってソーダ水のような海を見た。なぜガラスの器に入ってないのか不思議な気がした。こんなきれいな海の色をみたのは初めて。

二本のストローのように、足を海に差し入れると すうっとわたしが飲まれていった。水色のソーダ水に。それからずっとあたまが、からっぽ。

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# by sechanco | 2008-06-20 11:00 | ミヤオ・リターンズ

秋葉闇

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                            ———エミリ・ディキンスン



傷ついたこころが
もっともひどく
ひとを…

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# by sechanco | 2008-06-11 07:35 | ミヤオ・リターンズ

背中が見える

a0082132_11581050.jpg「2時間も、待ったのよ。見るのに」「わたしなんか、3時間」という会話が知人のあいだで飛び交っている。平城遷都1300年を記念して、東京国立博物館で今おこなわれている特別展『国宝 薬師寺展』の話。

「なにが見られるの?」と聞くと「日光菩薩と月光菩薩」だそう。
「薬師寺に行けば、いつでも見られるものじゃないの?」ときくと、「そうだけど…」「なんでそんな地味な仏像(すいません)にみんな大騒ぎしてるの?」「外に出るのは初めてのことで、それから…普段は見られない、背中が見えるの!」「せ・背中が…?」

ホトケの背中が、そんなに見たいものだろうか…と。ぽかんとしてしまった。ふだん背中ばっかり見ていて、はじめてお顔が見られるのならまだしもの話。3時間も並んで。「なんだ、背中か」と思う私がとんちんかんかな。ずっと昔わだいになった「月の裏側」の写真ほどの衝撃はないと思うけれども。

日光菩薩・月光菩薩というとわたしは、ああ思い出してしまった『ブラザーサン シスタームーン』という言葉と映画を。そして書きかけて座礁してしまった、じぶんの詩のことを…。

どんな詩かというとね。しんじつはひとつではない。ときにふたつのばあいもある。ひとつなら、それを「別れ」とよぶ。けれどふたつなら、それを「必要」と呼べはしないか。日光・月光も「照らす」というひとつを生きる。きっと二体の必要であると。。

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# by sechanco | 2008-06-08 09:31 | ミヤオ・リターンズ

こんにちは

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ちょいと思うところあって。ホームページ制作にとりかかっている。いまさら、と笑われそうだけれど。「フランスに行ったらフランス語で」「土佐に帰ればもんてきちゅうで」という妙な意固地な思い入れがあって。「はいぱー・てきすと・まーくあっぷ・らんぐえっじ」つまりHTML言語で取り組んでいますのよ。で、昨日の信じられないほど(笑)の大仕事の成果。やっとのことでたどりついた画面の「こんにちは」です。色も「misty rose」を指定したのよ。ふう。遠い星からはるばる参りましたようです。こんにちは。

HTMLテキストいわく。「コンピュータに『〈赤〉という文字を赤くしろ』と日本語で(人間語で・宮尾注)言ってもわからないので、その代わりHTMLで『〈FONT color="red"〉赤〈/FONT〉』と指定するのです。」と、書いてあって思わず涙ぐみそうになった。なんだか他人とおもえないものを感じたからだ。赤鉛筆で「赤」と書けば、赤くなる世の中に、「〈FONT poem="red"〉赤〈/FONT〉」と大層な舞台設定してまで、詩で「赤」を出そうとしている。裏の苦労が表に出ないね、おたがい割の合わないエッチ(HTML略)で裏方言葉な仕事だぜ。コンピュータ、おまえも詩人よのう。

生まれはどこなん ?£¢%#&*@☆√∽∝∵?あそー。あたしはその手前のね……♪

ん?難解な現代詩はHTML面が表になっただけの、裏はただの「こんにちは」かも。^^

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# by sechanco | 2008-06-04 12:14 | ミヤオ・リターンズ

雪踏み 蛍携帯

a0082132_10104123.jpg雪を踏む


詩を
書かないと

病室の窓から
雪野原を観ているみたいだ
書くことは足跡を
つけること

外に出て 踏みたい
白い 雪を踏んで
歩きたい

詩は
ちょうどひとりで歩くのに
いい

大勢の言葉に踏まれる前の
ひとり歩き

なにをしてるの
雪踏み

溶けたら消える冬の
仕事よ

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# by sechanco | 2008-06-02 10:29 | ミヤオ・リターンズ

犬の時間

a0082132_2030692.jpgくるみの樹の下で少し涼んでいたら。心地よい風にもっとあたっていたいらしく、犬が動かなくなった。しょうがないなあと、そばによると犬の足もとに四ツ葉が見つかる。やった。犬の時間につきあってくれたお駄賃みたいに。

この前も帰り道の坂で、道端の匂いばかり嗅いで動こうとしなくなった。やれやれと、つきあって見上げた木の枝に何と「きくらげ」がついている。人の時間から犬の時間に移ると結構『お宝発見』があったりする。

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# by sechanco | 2008-05-29 20:51 | ミヤオ・リターンズ

北京の切符

a0082132_10382547.jpg柳本ジャパンが北京の切符を手に入れた。毎回、テレビの前で手に汗にぎって応援したきたものとしては嬉しい。わたくし的(こんなケイハクな言いまわしを使いすてるのが、好きなのよ♪)には高橋みゆきですが。

解説の川合さんは日本バレーの「レキシ上一番!」と褒めあげた、小さなリベロ佐野の、瞬時に床下ふかくまで両手を突っ込んで、誰も抜けない「大カブ」を下から根こそぎ持ち上げて堀りおこし、ボールに変えて投げあげるかのような、ありえない角度からの見事なレシーブ。

それを受け取って最小最強セッター竹下のトス。点につながらず落ち込んでいる者にはエールの。入れ替えで入ったばかりの者には歓迎の。誕生日の者にはハッピバスデの。だんだん調子が出てきた者にはイケイケの。長年コンビのシンにはやっぱりアンタよの。…かならず誰かに花を持たせるように、誰かを生かせるように。床すれすれで小さな体を噴水のようにくるくる回転させながらボールを手渡すそのセンス、そのチャーム、その愛!気配りのいきとどいた、見事なボール配り。その手でボールを渡してさまざまに花咲かせるメンバーたちの花束をここでしっかり束ねているのかと思わせる、あのきりっとした厳しい眼差し。ひとをいかす。ひとのためにいきれるひとはあんなひとだ、きっと。人柄にも技にも眼差しにも情にも何もかもに、キャプテンの格がある。インタヴューには一言「わたしたちには、結果しかないから」。

ああ、そして。高橋みゆき嬢。大輪の華。柳本監督とおんなじどう猛な目をしている。カメラも追いかけ切れないほどの、猛スピードできめるスパイク。アウトか得点か、いちかばちかをかけたスリリングなサーブ。ブロックする敵の指を花びらのように飛び散らすパワー。極まってきたときの手のつけられない野獣のような眼差し。もっと極まると放心したように片目がすっとほどける官能的な斜視。「なんか意味不明ですね…」と解説者のトークを困らせる、乱心したような時折の両肩落としてのフラフラ歩き(崩壊学級の問題児のようだ…と表現する人も)。入ったときのぱっと輝く大輪の笑顔。ペキンが決まった日のインタヴューなんかもう喜びでぐにゃぐにゃで。蕩けるほどラブリーだった。。。ああ、高橋のことなら明日まで語っていられる。そして、バレーが終わる度にかなしくなる。もう、彼女に会えなくなることが……。

荒木もがんばった。エース栗原めぐみももの凄い活躍だけど(目がよくなったね)。。味がね。にんげんのあじがまだたりない。試合よりもどちらかというと人間をウオッチングする。わたしにいわせれば。

ひとのかんばせは年期がつくるものかも。
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# by sechanco | 2008-05-24 10:52 | ミヤオ・リターンズ

師匠の愛

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書に惚れ込んで、ときどき手ほどきを受けたりしている山田麻子師匠の「あい」である。和紙作家と書家の彼女とわたしで以前コラボ展をするために、「あさちゃんあいをかいて」とたのんで沢山の漢字やひらがなの愛をかいてもらったうちの、ひとつ。いちばん気に入っている愛。

かんけいないけど。「スランプ」という言葉をきのう思い出して、ふるい友達にあったようになつかしかった。や、ひさしぶり。「Dr.スランプ」って漫画もあったな。いまは、ぜんぶ飛び越えて、「ウツ」だ。ないたりへこんだりおこったりやつあたったり…もっと人間にはジュースが出たはずだ。ジュースは血じゃない。なにかあれば、すぐウツ(鬱)という言葉が人のジュースをとめてるようで。ひとにひとのあじがなくなっていくようで。なんだかさびしい。ひとむかし前のスランプのように、脱出できる言葉はないものか…とおもう。

「春」という「時のコトバ」でくくれば「夏」という次の時が訪れる。時のコトバにはつぎの時の見とおしがつく。時のコトバは新しい頁がめくれる。けれど、それを「季節」という言葉でつかむと「春」は二度とそこから逃れることはできない…コトバにはそういう罠がある。ことばひとつで、ひとを救いも陥れもする。なら。出口のあるコトバを探したいとおもう。コトバだけでも。一歩間違わなくてもペテン師だと自覚して。入り口ではなく、出口に立てれば…とおもう。

師匠の愛を見ながらそんなことを。
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# by sechanco | 2008-05-22 09:35 | ミヤオ・リターンズ

歌舞伎とドリフとやなぎもと

a0082132_0223070.jpgうまれて初めての歌舞伎観劇をしてきた。ああいう優等生っぽい世界には、ちょい(うんと?)悪庶民の手前どもには別世界かと思ってましたが。めちゃくちゃ楽しかった。優等生どころか、飲んだり食ったりふかしたり(喫煙通路は煙がもうもう)声は上がるし笑いはでるし、超俗で下町な世界にびっくりこ。

演目は、でいいのかな。『青砥稿花紅彩画』あおとぞうしはなのにしきえ、と読む(どうしてそう読めるのか…理不尽な程・笑)。なんのことはない、わたしでも知ってる『白波五人男』のおはなしでした。永谷園のお茶漬け柄の幕(わはは)が開くなり。満開の桜花に、ずらっと並んだ「大奥」の世界のような女子衆に、日本人形のようなお姫さま。その舞台のきらびやかなこと衣装のあでやかなこと。それに太鼓や拍子木が気持ちを煽る。

パンフレットにずらっと並んだ、難解でしかつめらしい漢字の世界が、ぱっとひっくりかえって全部お花畑にかわったような嬉しい展開に、からだに勝手によろこびが疾る。このハデさは何なんだろう。役者さんが「みえ」を切るたびごとに、後方の客から「高島屋!」「よろずや!」「音羽屋!」…などの小気味のいい「合の手」がはいる。

この合の手が、夏のヒグラシのシャワーのように耳に聴きここちのよいこと。それがまたウグイスの谷渡りように、声のグラデーションを競い合う。「よろず…」とひとりが言いかけると、別の場所から重ねるように「いよろず…や」とひくく続け、また別のところから「…よろずや!」と高くかぶせ、幾層にもみごとにシンクロしあって(プロだ)声が湧き、舞台をさらに盛り上げる。昔行った、神田の『薮そば』の店員さんたちのかけ声「ざる一丁」の響き渡りがたしかこんな感じだったな…。

ストーリーは「なんでこんなやつに」(笑)みたいな今時考えられない定番の安易な運びだが、なんだかそれがほっとする。シンプルな筋。ユングのいう『元型』(ひとの心の拠り所となるお伽噺の型といえばよいか…)の日本版をみんなでたどっている安心感・連帯感のようなものがある。「歌舞伎って。なんでこんなに面白いの!?」と、訳ありの切符がとびきり安く入ったからと今回誘ってくれた、その友達に訊いたら。

「ド・リ・フ」と言った。「ドリフターズのどたばたにそっくりでしょ。というより、ドリフがしっかり歌舞伎を踏まえたお芝居なんじゃないのかな」なっるほど。

解説のヘッドフォンを借りた方がいいことや。1600円でも返りにデポジットで1000円戻るから。お弁当は近場で買って持っていったほうが、中で買うより安あ
がりなことや。通訳の仕事をしている彼女から、ガイジンサン(シジンサン?)のようにいろいろアドバイスやたのしむコツを教えてもらって、おかげで10倍たのしめて。わたしの初歌舞伎体験はたいへん幸運なものとあいなりました。ありがとうお友だち。

歌舞伎にハマって安い席に毎日通うひともいるわけが納得できました。飲んで食べて休んでふかして泣いて笑って楽しんで。鳴り物入りで舞台は豪華絢爛衣装もあでやか。おはなしもドタバタや斬ったはったやお涙頂戴や。緩急まじえて分りやすく飽きさせずなのに何とものどかで。時々ひいきの役者に合の手も掛けられて…なんとえんえん4時間!も異空間をたのしめるなんて。下手な日帰り旅行よりずっと中身が濃いわ。しまったね。もっと早く知りたかった。

ああたのしかったわと。帰ったら帰ったで、ビデオに録画した「柳本ジャパン」日本女子バレーの観戦があるのでした。あら、高橋みゆきが茶髪だわ。茶々チャ。

日本がたのしい。

*写真は友だちの仙台みやげで駄菓子の老舗…yo石橋屋!!

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# by sechanco | 2008-05-21 10:31 | ミヤオ・リターンズ

緑の木陰と奥行きと

a0082132_43782.jpgいつも散歩する川沿いの小径。今は緑の木陰におおわれて歩くと気持ちがいい。

朝は東の方からまるい太陽がのぼってきて、夕方は西の山にまるいまんまでしずむ。左の丸が右に移って一日が終わる。球の移動。ピンポンの試合を観てるような。そんなシンプルで分りやすい日々が過ぎて行く。朝日はピンク色に東の空を染めあげ、夕日はオレンジに西の空を染め終える。毎日の事なのにそのうつくしさにしばしば見とれて我を忘れる。朝は河原の薮でケーンケーンと雉子が鳴き。夜は神社の古木の洞でホウホウと梟が鳴く。星のまたたきに、川の瀬の音。ふうっとおおきな息継ぎを自然にしてる時——ものいわぬものたちにいやされているのがわかる。なにもないことがしあわせなことだと。そして、しあわせなことにも気付かないことがじつはいちばんの。

地元の文芸誌の詩の選者をやらせてもらっているが、もう一人は町田多可次さんという先輩の詩人。かつては、この地の有名詩人『蔵原伸二郎』に師事しておられたそう。一事をながくやっておられる方には、学ぶ事が多い。たとえば、ことばの奥行きを学ぶ。
選評を書く時も、わたしは詩に直に付く。でも、町田さんの評はその時はなんとなく詩にぼやっとした距離があるように思えるが(すいません)、本になったとき「あっ」と驚く。ぴたっと照準があっているのだ、本になったときの距離に。たとえば、陶芸の下絵が釜から出された時に、はじめて生きる書き方だ。火を入れる前の下絵のときに気張り過ぎると、『釜出し時』の仕上がりがくどくなる。わたしがその愚をやってしまう。

その時みなまで言ってしまわない。でも、あとでじわっと芯にとどく。消し炭に火が点くように。ニクイ。ことばの奥行きとはそういうことだ。この奥行きに向かえるなら、年を取るのがたのしみになる。まだまだ自分の青さを感じるこの身が、なさけないやらうれしいやら?うふふ。
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# by sechanco | 2008-05-18 05:44 | ミヤオ・リターンズ

エビチャンと蛇の目ミシン

a0082132_11195886.jpg『解剖台のうえでのミシンとコウモリ傘の偶然の出合い』がシュルレアリスムを代表することばと聞いたとき。わたしはなんだかソレ聞き覚えがあるなとおさなごころ(笑)に思って「あ」と思いついたのが『エビタイ』だった。でも、「海老で鯛」ではやっぱり地味で。ミシンとコウモリ傘ほどの世界をまたにかける派手な跳躍力にくらぶると、飛距離がずいぶん落ちるなあとのふまんもあった。ひろい世界とせまい台所の差。あっちが解剖台ならこっちはまな板だし…。

そこへあらわれた救世主が『エビチャン』だった。にほんじゅうのみんなが潜在的にもとめているだいすきなLuck『海老・鯛』を。シュールにリメイクしてきっちりメイクしてうんと美人にしあげて登場したのがアイドル『えびちゃん』ではなかろうか。「エビチャン・エビチャン」と呼ぶたびにちゃりんちゃりん(仮音)と、「エビタイ」がどこかで叶うみたいなおめでたい達成感がありはしないか。エビチャンは。それもあの素晴らしい笑顔つきで。海老鯛が。日本でブレイクするわけだとおもう。ミシンよりもコウモリ傘よりもにほんじん好みの、もとをたどれば故郷はエビタイのえびちゃん。

でも。えびちゃんと八代亜紀の顔がときどきかぶる(広末涼子と故・影山民夫サンだってぇ…)わたしはもともとシュールなタイプだろうか。ミシンとコウモリ傘が出合った頃の解剖台のアタマみたく。。

*シュルレアリスムは、オートマティスムによる二つのイメージの偶然の出会いという解釈が一般的だったけれど、さいきんは、こちらのほうがよりイメージが的確だということで『デペイズマン Depaysement』(故郷から追放すること、本来あるべきところから別のところへ移すこと、それにより異和を生じさせることの意。)で解釈されているらしい。ふむふむ。海老鯛からえびちゃんに移ったごとくじゃないかしらね。

嗚呼「故郷追放」。このタームになんだか泣けそうになるのは。山を越えて出て来きましたよの、わたしが田舎者だからだろうか…。つきあいもながくなりました。

では、さよなら。。。としようとゆうべおふとんにはいってからのこと。なんだかもう一つ忘れていることがあるなと妙に心にあたるものがあり、目が冴えた。で。もいちど「コウモリ傘とミシンの出合い」をおもい浮かべた。昔「エビタイ」よりももっと身近にたいけんしたシュールがあった。目に覚えがあり。身に覚えがある。ぜったいある。ぜったい。あった。あ。『蛇の目ミシンだ!』

わたしは、ロートレアモン(だったよね)のこのコトバに出合った時。おさなごころの故郷にあった。普通の家庭にふつうにあった。母が踏んでた『蛇の目ミシン』のロゴを思い出したのでした。でもほんとはそれがおもいだせなかったそのことをいまおもいだした。蛇の目(傘)とミシンはとっくに出合っていて。シュルレアリスムってかあさんが夜なべする足で踏んでたレアリスムなんだってことを。。。。おしまい。

*うれしいオマケ付き。
くりっく!→★蛇の目ミシン詳細?
実は、昭和10年に自社ブランドに「蛇の目」の名を冠したとき、業界の一部からは非難の声が上がりました。しかし、小瀬與作は非難には動じませんでした。「舶来ミシン全盛の当時は、国産品に外国名を付けてごまかすものが多かったが、私はこれこそ正真正銘の国産ミシンだという誇りをもって、あえて「蛇の目」という日本名にこだわった。」と後に語っています。機敏で逞しい商魂のあらわれとも受けとれますが、それ以上に商品に対する自信と事業への強い思い入れからくる決断だったようです。ですって。。

☆「せっちゃんなにかんがえてるの?」ってよくいわれますが。こんななこと…よ。そのへんにあるのモノから想いを広げてとおいとこまで旅をするのがシュミなのよ。誰も遊んでくれない時は。いけないかしら。『バラの名前』は納屋で咲いたイングリット・バーグマン。

More?
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# by sechanco | 2008-05-16 11:20 | ミヤオ・リターンズ

愛の巣

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☆photo : 游

「よわいヒナがまんだ残ってるなあ」。ある時。どこかのツバメの巣を見上げてお年寄りが、そうつぶやきました。みんな飛べたのになあ…かわいそうに。そういうニュアンスの会話を通りすがりに耳にしながら。「強い羽はどこへ飛んで行ったのだろう」と考えかんがえ歩いているうちに、戦闘機の羽がおもいうかび。「弱い雛の残されているところは…」とおもいうかべているときに…「愛の巣だ!」に、こころとことばが到着。ふわっとあたたかい気持ちになりました。あたたかい気持ちがないとささえられない弱い場所に住んでいるものは弱い者ではなく、わたしは気付きます。あたたかい気持ちだと。游さんの写真とコラボをさせてもらいました。

「自分のシアワセのために撮っているのものを、他の人が喜んでくれるのはうれしい」そんな風に引いて語る彼のことばの佇まいも、仄かに体温が伝わってくる彼の写真もなんだかいいのです。
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# by sechanco | 2008-05-14 11:52 | ミヤオ・リターンズ

麦わら帽子のリボンと臨床例

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『麦わら帽子のリボンは雨の排水溝』ある日。目に飛び込んできた、たった一行のこの短いフレーズの美しさに、すっかりしびれて『アンドレブルトン全集』なるものをわたしはドンと購入してしまった。「あの、むぎわらぼうしに、まちがいはないだろう」と踏んで。とてもお高かったのに。ずいぶん前のことである。買った当初は、ぱらぱらめくって「ん」失敗か?麦わら帽子を買ったほうがまだましだったんじゃなかったかしら…と。後悔しないでもなかった。まともに読めて、面白かったのは『ナジャ』だけ。あとは、ホコリをかぶって黙って本棚の番をするだけのブルトンになっていた。ブルドックのほうがまだましだったんじゃ…ぶつぶつ。

ところが、先日。やたら眠くなる風邪をひいたとき、おふとんのともにとあれこれ本をえらぶ中に、ひさしぶりにブルトンに手が伸びた。「あそびよみ」というやり方をわたしはときどきする。とくに根のつづかない風邪のときなどは。積んだ本の一冊をぱっと手にとりてきとうな場所をぱっとひらく。そこを読む。ハルキの一頁から、西鶴の頁へ、聖書の頁から、ブルトンへ。お笑いでいえば「むちゃ振り」をする。本にとってはめいわくだろうが(笑)。そこでみえるのは、ことばの肌理や奥行き。濃度。服で言えば、どんな生地でできているかが、とてもよくわかる。ストーリーは分断されるので何の意味もない。ひとかけらの断片だけの即効勝負。

そんななかで、ふたたびブルトンのすごさに唸った。そうとうかけ離れた、気の毒なほどの(笑)、むちゃ振りにもブルはたえるのだ。シュールリアリズムのさすが元祖というかなんというか。シュールレアリスムという一見狂気じみた世界のおおもとの正気に触れるおもいがした。ひとつの言葉の、一行のフレーズの濃度の高さ。しっかりと言葉がモノをグリップしている骨組みの確さに。ぎゃくにいえばこういう構造のストーリーが整っていれば、さらなるストーリーはいらない。はみだしてシュールにいかざるを得ないだろうと、わたしなんか凡人は解釈する。そこまで凝った生地で服なんか作らないでもいいじゃないか。タペストリーにしといたら?みたいに。

いやいや。いくらでも、横道にそれるので早く言いたいことをいおう。最近、文壇や詩壇、いや若い絵画の世界でも、注目されている一部の傾向について。非常にインパクトは強いけれど、一種のこころを病んだ気の毒な人の症状としか、わたしはそれらを思えない。病んだ世界を反映しているのだといえば、ああそうですかというしかないが。いいたくない。小説や詩や絵画の表すその「存在の臨場性」が、わたしにはどうしても見えてしまう「病気の臨床例」のようなもので、いいのだろうか。もし、それで、よしとするならば。病気を治そうとする本人や、支える家族、少しでもと回復を目指し治療に携わる医師などの日々の努力はいったいどうなるのだろう。芸術を着地点として、すべては報われて吉となるのだろうか。

そういう人の作品を読んである介護に携わる人が「これでよしなら。この人たちはこれから何を目標に生きればいいのかしらね」とぽつりともらした。そのことばは重い。戻るべき正気が失われるのではないか…じっさいの現場の声として、そういうことをいったのだと思う。

いや、そんなにわかヒューマニズムをわたしなどがうたいたいわけじゃない。その逆だ。文学や芸術の先端が臨床例のようなものでいいのだろうか。これは先端ではなく、それらの「さいはて」ではないのか…という疑問である。いつかタモリが物マネで筋肉を引きつらせる芸をして笑いをとっていたことがある。あの笑いの奥に潜むものはどうみても脳性麻痺の患者の姿だ。そこに垣間見えるものは、ぜったいわらえないものをわらってみたい人に潜む「最果ての闇」だ。さいていのやみだ。

麦わら帽子のリボンを雨の排水溝に見立てる…
ブルトンはさいはてではない、まともだった。

芸術はけっして技としての狂気があるのではない。どこまでも
正気であろう覚醒しようとする真摯な姿の狂気があるだけだとおもう。
危うい世界の青田刈り(…)はもうやめてほしい。だれがしあわせに
なるのだろう。。

個人的な感想だけど。ある一時は輝かしい革命児に見えたが、今は
現代詩のガン細胞だとわたしには思える荒川サンに早く立ち去ってほしい。
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# by sechanco | 2008-05-13 12:35 | ミヤオ・リターンズ

タイム・トンネル

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大きな旧いトンネルを、山の麓で見つけてフェンスを乗り越え(しーっ)入ってみました。中は真っ暗。何につかっていたのか不明。声を出すとどこまでどこまでも反響していきます。暗がりの中にわたしの亡霊が何人も隠れているみたい。じぶんの鼻先もみえない真っ暗闇をあるいていると、外と内の区別が消えていき、まるでじぶんの心のなかをあるいているような奇妙な錯覚におちいります。まあでっかい廃坑だこと。たまたまカメラを持っていた息子の友達のフミ君が撮ってくれた貴重な(笑)マイ後ろ姿です。

オランウータンに手話を教えて。そのオラちゃんの父親が死んだときのこと。「死とは何?」と訊ねたところ『くらい・あなへ・さようなら』と手話で答えたそうです。

わたしも こんなふうに くらいあなへ さよなら するのかしら
このさきは どうなってるのかなと たんけん きぶんで?

洞窟探検とか、トンネル探検とか、こどものころから
大好きでした。こわがりのくせに、ね。このときも胸
はばくばく。
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# by sechanco | 2008-05-10 00:11 | ミヤオ・リターンズ

エルメっさん

ゆだんすると。外に出るだけで幸わせになってしまうようなよいお天気です。わかばをゆらしていく風もここちよい午後。駅の前のこれまたここちよい道を、エルメス(風)のトートバッグを腰にゆらしながら、お洒落なおじ(い)さんがちょこちょこ歩いていきました。電車でどこかへおでかけだったのかな。あまりにキマってる…チャーミングな後ろ姿に。「エルメスさん」と声をかけたくなる衝動をぐっとこらえて。てんしをみおくるように、そっとみおくりました。
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# by sechanco | 2008-05-08 09:33 | ミヤオ・リターンズ

古いメモ

少し思い出したいことがあって、本棚から取り出した古い映画のパンフレットから、色あせたメモがこぼれ落ちた。

「言われてしまって、言うことのない日がある。例えば、この映画の字幕を見たときがそうだった。『僕が泣いたのは、別の理由なんだ。今、ここにいる母さんを僕は思い続ける。その椅子に座っている姿をね……泣いたのは……別の事だ……つまり、母さんはもう僕の事を考えてくれない。その椅子に母さんが座っていた頃は、遠くにいても母さんが考えてくれていると思うから生きられた。僕の支えだった。でも、亡くなってしまった母さんは、もう僕の事を思ってはくれない。母さんにとっての僕は、もう生きていないのだ』私は、この日いち日置き物のように黙った。次の日から、この件は永遠に黙った。つまり問題は解決したのである。10数年抱え続けてきた。あのときわたしは、誰の死に泣いたかという問いはここで見事に答えられていた。」……私の古いメモにはこう書いてあった。


わたしにとってのあなたは、生き続けても。あなたにとっての僕は、もう生きてはいないのだ、というひとりの死がかかえこむもうひとつの死の悲しみ。『カオス・シチリア物語』での、亡くなった母親の亡霊と息子が話すシーンである。『泣かないで、ルイジ。私を愛しているなら、今、こうしている私を覚えていて。元気な私を』という母の亡霊のなぐさめに対して、息子が告白する。

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なみだは わたしのいちぶが わたしからもぎとられた
いたみでふきだす とうめいな ち なのかもしれない
ね。
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# by sechanco | 2008-05-07 07:27 | ミヤオ・リターンズ